鶏は冬には卵を産まなかった?|鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)

こんにちは。
水墨画アーティストの八束徹です。

鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)とは、
鶏が卵を産み始めるという意味です。

鶏は人の生活に強く結びついた鳥です。
卵は一年中いつでも買えますよね。

しかし元々は、鶏も
そんなにしょっちゅう
卵を産んでいたわけでは
なかった
んです。

元来の鶏の産卵期は初夏から夏でした。

この記事では、その鶏始乳、
今回描いた水墨画、

について話していきます。

1月30日から2月3日頃の七十二候は、
大寒末候 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)です。
二十四節気では、大寒(だいかん)
その大寒を3つに分けたうちの3番目(末候)です。

鶏は冬には卵を産まなかった?〜鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)

養鶏が変えた鶏の産卵

現代では卵はいつでも買えますね。
いろんな料理に当たり前のように使われて、
私達の生活に染み付いた食材です。

それだけ流通しているものなので、
それを産む鶏は一年中産卵しているような
気が
してしまいますが、
それは養鶏(ようけい)により管理された
状況だからこそであり、
元々の鶏の産卵時期は春から初夏
本来であれば、鶏が冬に卵を産むことは、
ほとんどなかったのです。
(稀に冬に産まれる卵は寒卵と呼ばれ、
とても貴重なものでした。)

なので、この七十二候ができた当時は、
この時期に鶏が産卵して温めている様子を
長い冬の終わりを知らせる姿として
とらえられていました。

しかし、それと同時に鶏は
家禽(かきん)として価値が高く、
やがて採卵用の鶏は品種改良により、
時期を問わず、卵を産むように
なったのです。
(*家禽=家畜の鳥バージョン)

これは養鶏のなれの果てであり、
人間の都合だけが招いた結果ですが、
積み上がった歴史の上に生きる私達には、
もはや否定は難しいものです。

私達がそれだけ、日々、鶏の恩恵を預かり
栄養を得ている
という事実に、
絶えず感謝の気持ちを持つべきなのは
言うまでもないことですね。

神秘性としての鶏〜夜明けの合図

鶏の家禽の歴史を紐解くと、
鶏は初めは食用や採卵用ではなく、
こけこっこーと、その甲高い鳴き声で
夜明けを知らせる鳥という
神秘性を持った有難い存在
として扱われていました。

それがやがて、闘鶏(とうけい)のためや、
食用(卵や肉)にするために、
人が飼育するようになっていくのです。

その行為は養鶏として発展し、
今ではその習性も改良されて、
採卵用の鶏は、一年中
卵を産む
ようになりました。
人間の食を満たすために。

それでもその甲高い鳴き声は、
未だに夜明けの合図としての
神秘性
を失ってはいません。

それも人の夢が作り上げたものであり、
まさに今、次の立春へ向かう
最後の七十二候にふさわしいものとして
鶏がここに登場するのかもしれませんね。

冬の終わりという夜明け

人の語ることは、すべて
人のための夢なのです。

【作品紹介】水墨画で七十二候を描く〜鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)

鶏の家禽(かきん)の歴史を紐解く、
鶏は初めは食用や採卵用ではなく、
こけこっこーと、
その甲高い鳴き声で
夜明けを知らせる鳥という
神秘性を持った有難い存在
として扱われていました。

その後、闘鶏、養鶏と家禽の歴史は
広がっていきましたが、
そんな夜明けの合図としての
神秘性は今も持ち続けています。

冬の終わりという夜明け。

まさに今、次の立春へ向かう
最後の七十二候にふさわしいものとして
鶏がここに登場するのかもしれませんね。

さて、
鶏といえば一番に思いつくのは、
あの白い体と
真っ赤な鶏冠(とさか)と肉垂れ
ではないでしょうか。

日本で最も知られた採卵用鶏は、
白色レグホンと呼ばれる鶏です。
古来春にしか卵を産まなかった鶏は
人の手による品種改良を経て、
時期を問わず排卵するようになりました。

卵を産まないひよこのオスは
即、殺処分され、
残されたメスは成長後、
1〜2年間ほどの
排卵期間に卵を産みます。

こうして人間の元で育つ鶏には
親子で過ごす時間がありません。

せめてものために、
今回この親子を描きました。

●絵のサイズ 半紙(F4) 334mm×243mm
●額装について
サイズ – 太子 379mm×288mm
色 – 白
マット色 – ワーグマン

*著作権は八束徹に帰属します。
絵のダウンロードや無断転載はお控えください。

まとめ

今回話したのは、

  • 七十二候・鶏始乳
  • 水墨画で描いた鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)

についてでした。

これで全ての七十二候を一巡しました。
次の七十二候は、また新たな
立春初候 東風解凍(こちこおりをとく)です。