こんにちは。
水墨画アーティストの八束徹です。
蓮始開(はすはじめてひらく)とは、
蓮の花が開き始めるという意味です。
早朝の蓮池に咲き誇る
蓮の花は壮観です。
初夏に蓮の花の涼しさに
出会うためには、
実は早起きが必要なのです。
似た花の睡蓮との違いも含めて、
この記事では、
その蓮始開、
今回描いた水墨画、
について話していきます。
*7月12日から7月16日頃の七十二候は、
小暑次候 蓮始開(はすはじめてひらく)です。
二十四節気では、小暑(しょうしょ)。
その小暑を3つに分けたうちの2番目(次候)です。
目次
七十二候・蓮始開(はすはじめてひらく)
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/07/1-2.jpg)
蓮の花と睡蓮の違いとは?
ハスは長い茎が伸びて水面に葉を広げ、
そこからさらに伸びて葉を広げ、
高い場所で花を咲かせます。
睡蓮は水面にのみ葉を広げます。
花も水面で咲きます。
これが蓮と睡蓮の違いです。
蓮の花は早朝に咲き、昼には閉じます。
それを3日繰り返して、
4日目に散ります。
まだ日が高くないうちに
初夏の蓮池を訪れてみるのも良いものです。
蓮の葉っぱは撥水(はっすい)性があり、
水を弾きます。
葉の上に朝露が残る姿も
風情がありますね。
花托(かたく)が蜂の巣に見えることから、
それが転じてハチノス→ハチス→ハスと
呼ばれるようになったというのが定説です。
集合体が苦手な人は、
蓮の花托ってどんなんだろう、
と調べたりしないように!!!
また、蓮は食用にも使われていて、
花びらはお茶、
花托の中からは蓮の実、
茎は蓮根、
など、ゆかりのあるアジアの国々では
いろんな形で楽しまれています。
仏教との結びつきも強い「蓮華」
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/08/8.jpg)
仏教では同じ水草の睡蓮とともに、
蓮華(れんげ)と呼ばれていて、
蓮は泥より出でて泥に染まらず
という言葉にあるように、
ハスは泥の底からも茎を伸ばして
水面を飛び越え、
その葉は水を弾くことから、
俗世にまみれることなく、
気高く清らかに生きるものの象徴と
されています。
仏像がよく蓮の上で
座禅を組んでいるのは記憶にありませんか?
極楽浄土にて蓮の上で生まれ変わることを、
日本仏教では一蓮托生といいます。
最後まで運命を共にするという意味で
知られた熟語ですが、
こういった意味もあるのです。
水墨画で七十二候を描く〜蓮始開(はすはじめてひらく)
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2022/10/img_4788.jpg)
まず花ですが、
先隈で1枚ずつ描いていきます。
和紙の特性上、墨を重ねると
あとから描いたものが
後ろに隠れていくので、
手前から先に描いていきます。
それから茎を這わせて、
大きな葉っぱを書いていきます。
これは濃墨から薄墨と
それぞれで描いています。
葉っぱが力強いので、
花を活かしつつ、バランスを取ります。
あと花托は簡単に、
花に添える感じで描きました。
リアルに描くっていうのと、
写真みたいに描くってのは
別な話です。
生きてるかどうかってことかな?
私にも永遠の課題です。
まあ要するに、集合体恐怖症の私には
蓮の花托をちゃんと見るのが
つらいだけなんですけどね。笑
さてその花托の上に座っている仏様。
そんな宗教的背景の
イメージが強い蓮の花ですが、
水辺に広がる蓮の群れは
どちらにせよ美しいものです。
その美しさを感じるのに説法は不要です。
そんなことは仏様だって、
ちゃんとわかっているはずですね。
まとめ
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/08/7-1.jpg)
今回話したのは、
- 七十二候・蓮始開(はすはじめてひらく)
- 水墨画で描いた蓮始開(はすはじめてひらく)
についてでした。
次の七十二候は、
小暑末候 鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)です。