座れば牡丹。花にたとえた日本美人|水墨画で描く牡丹華(ぼたんはなさく)

こんにちは。
水墨画家の八束徹です。

牡丹華(ぼたんはなさく)とは、
牡丹の花が咲くという意味です。
風格ただようその姿から
花の王」とも称される牡丹ですが、
芍薬や百合とともに、女性の美しさ
表す言葉にも使われています。

この記事では、その「牡丹華」
について話していきます。

*4月30日から5月4日頃の七十二候は、
穀雨末候 牡丹華(ぼたんはなさく)です。
二十四節気では、穀雨(こくう)
その穀雨を3つに分けたうちの3番目(末候)です。

座れば牡丹。花にたとえた日本美人|牡丹華(ぼたんはなさく)

美しい女性の代名詞として

牡丹は、芍薬や百合と並び、
女性の姿にたとえられてきました。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」

この言葉には、凛とした立ち姿、
静かな佇まい、しなやかな歩き方、
それぞれの美しさが重ねられています。

私たちは、そこに
「風格」や「高貴さ」、あるいは
「理想の女性像」といったイメージを重ね、
ときに憧れを抱かずにはいられないのです。

春の陽射しのなかに咲く姿。
穀雨に濡れた花びらが、
夕日にきらめくひととき。

牡丹はその高貴な姿で、
私たちに淡い夢を見せてくれているのです。

獅子に牡丹〜王と王の組み合わせ

牡丹は中国で「花の王」とされ、
その存在感から「風格」「富貴」「恥じらい」
といった花言葉がつけられています。

たとえば「獅子に牡丹」。
獣の王・獅子と、花の王・牡丹。
この二つがそろえば、まさに最強の組み合わせ。
刺青の意匠としても知られています。

水墨画で七十二候を描く|牡丹華(ぼたんはなさく)

今回描いた牡丹では、
「富貴」や「王の風格」というよりも、
**「座れば牡丹」**
の落ち着いた美しさの表現に努めました。

そんな女性にどこかで出会う、
そんな夢を男は見ます。

しかしどちらにせよ、花はもともと、
人のために咲くわけではありません。
牡丹は自分自身のために
ただ咲いている。
女も自分自身のために、ただ咲いている。

改良されて飾り物になるより、
自分自身のために咲く花。

そんな生き様が、手の届かない
本当の美しさなのかもしれません。

▶︎静かな手紙をお送りしています
ざわつく日々に、墨の余白と灯火を。