ツバメの子育てを見守る農夫達〜玄鳥至(つばめきたる)

こんにちは。
水墨画アーティストの八束徹です。

玄鳥至(つばめきたる)とは、
燕が南からやって来るという意味です。

南からの海を渡りやってくる渡り鳥・ツバメ。
害虫を食べてくれるそんなツバメの家族を、
農夫達はそっと見守り
ます。

この記事では、その玄鳥至、
そして今回描いた水墨画、

について話していきます。

*4月5日から4月9日頃の七十二候は、
清明初候 玄鳥至(つばめきたる)です。
二十四節気は、清明(せいめい)に変わります。
その清明を3つに分けたうちの1番目(初候)です。

七十二候・玄鳥至(つばめきたる)

害虫を餌にする燕と農夫の共存

ツバメはスズメと同じように
天敵から身を守るため
人の近くで暮らしますが、
スズメほどには警戒もせず
人から見える場所に巣を作ります。
まさに人との共存です。
ツバメは、人が育てている
農作物は食べず、
人にとって害虫とされている虫を
食べてくれるの

農家にとってはとてもありがたい鳥です。

私の実家にも、この時期になると
毎年毎年つばめがやってきて、
屋根の下などに巣を作っていました。
あちこちにツバメのふんが
落ちていたものです。

それでも、誰もツバメを
追い払ったりはしません。
それが当たり前の風景だからです。
産んだ卵がかえり、
ひな鳥が飛び立つまで20日前後。
父も母もそれを見守ります。
邪魔をしないように。

私の実家も農作物を育てて
生計を立てていますから、
それが害虫を食べてくれる
ツバメへの恩返しなのかも知れません。

ツバメとの共存は
それだけ大切なことなのです。
そして、一部日本で冬を越す、
いわゆる越冬つばめ以外は、
秋になり寒くなると
次の暖かい地へ飛び立ちます。
秋の七十二候、玄鳥去(つばめさる)
あたりです。

都会ではツバメをあまり見かけませんね。
実際、大都会はツバメには暮らしにくい
場所
です。

それはもしかしたら、
田んぼや畑がなければ
ありがたくもなんともないと、
汚いふんで綺麗な街を汚すなと、
人間のほうからばっさりと
共存を拒否した結果
なのかもしれません。

燕返しの由来。美しく飛ぶ燕

玄鳥とはツバメの別名。
夏鳥のツバメは暖かい地を求め、
日本の春にあわせて
東南アジアから海を渡ってきます。

ツバメは飛びながら虫を捕獲して食べ、
飛びながら水面の水をすくって飲んだりして、
何気にかっこいいんです。
あの剣豪、佐々木小次郎が
得意とする燕返しは、
そんなツバメの旋回から
取られたものです。

二又になっている独特の尾も個性的です。
あの尾の形は燕尾(えんび)形と呼ばれていて、
燕尾服の名称の由来となっています。
ちなみに燕尾服は夜の礼服であり、
イブニングコートのことです。

水墨画で七十二候を描く玄鳥至(つばめきたる)

故郷の実家では、
毎年この時期になると
玄関先の屋根の下に
ツバメの巣ができていました。

毎年同じ場所にできるのです。

そこでまたツバメの子育てが始まると
父親はよくそれを大切そうに
見上げていました。

我が家は農家ですから、
もちろん害虫を餌にするツバメを
有難がってもいたのでしょうが、
それだけに限らず、もしかしたら
同じ父親としての気持ちだとか
(当然私にはわかるはずもないのですが)
そういうものを重ねているのかなと
勝手に想像していたものでした。

これは後から知ったのですが、
ツバメには強い帰巣本能があるそうです。

毎年毎年春になるとやってくるツバメ、
(去年と同じつがいか、
はたまたその子供か)

我が家へ戻ってくるツバメのその姿に、
父は強い愛着を感じていたのですね。

そしてその愛着は今でも変わらずに
続いています。

まとめ

今回話したのは、

  • 七十二候・玄鳥至(つばめきたる)
  • 水墨画で描いた玄鳥至(つばめきたる)

についてでした。

次の七十二候は、
清明次候 鴻雁北(こうがんきたへかえる)です。