こんにちは。
水墨画アーティストの八束徹です。
麦秋至(むぎのときいたる)とは、
麦が熟し麦の秋となるという意味です。
熟した麦の収穫時期を
「麦の秋」と呼ぶのですが、
なぜこの時期に「秋」なのでしょうか。
どこまでも広がるような金色の麦畑。
そのノスタルジックな風景が、答えです。
この記事では、
その麦秋至、
今回描いた水墨画
について話していきます。
*5月31日から6月4日頃の七十二候は、
小満末候 麦秋至(むぎのときいたる)です。
二十四節気では、小満(しょうまん)。
その小満を3つに分けたうちの3番目(末候)です。
目次
七十二候・麦秋至(むぎのときいたる)
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/06/1-2.jpg)
初夏に訪れる「麦の秋」
二十四節気・小満の始まりとともに、
穂が実った若葉色の麦畑。
その麦が熟すと、
若葉色だった麦畑は黄金色に変わります。
これが、麦の秋の訪れです。
麦の秋とは、実際の秋のことではなく、
麦の収穫時期のことを指します。
麦は前年の秋に種を蒔き、
冬の間に育ち、この初夏に実ります。
稲と違い、年越しを経て、
収穫の時期を迎えるのです。
今でこそ日本人の主食は
米だと言われていますが、
昭和の半分を過ぎても
一般市民が食べていたのは麦飯でした。
本当の秋に収穫される「米」を
食べることができたのは、
裕福な人達だけだったのです。
米はそれだけ高価なものだったんですね。
農家で収穫した米は売りに出され、
彼らのわずかな収入になるだけでした。
そんな暮らしの中、
この収穫時期に黄金色に染まる麦畑は、
本当に身近に感じれるもの
だったのでしょうね。
季節の節目として、
こうして七十二候に組み込まれるのも
わかる気がします。
梅雨の下では栽培が難しい麦
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/08/5.jpg)
今では日本でも当たり前のように
米を食べるようになり、
昔ほど麦の需要はなくなりました。
元々梅雨入りが麦の栽培を
難しくしていたこともあり、
現在日本で作られている麦は、
梅雨のない北海道産のものがほとんどです。
麦から作られるものは麦飯だけではなく、
パンやパスタなども小麦からですし、
暑い夏には格別の冷たいビールも麦が原料です。
日本の麦は、今ではほとんどが
輸入に頼ってはいますが、
この麦秋至(むぎのときいたる)で染まる
北海道の黄金色の麦畑を思い描きながら、
それらを食べたり飲んだりするのも、
趣があって良いかもしれませんね。
水墨画で七十二候を描く〜麦秋至(むぎのときいたる)
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2022/05/img_3062.jpg)
今回は大麦を描きました。
麦飯にするには、大麦なんだそうです。
薄墨を含んだ筆の先端に
濃墨をつけて先隈を作り、
麦の実をちょんちょんと描いています。
その後、掠れ気味の濃墨で
芒(のぎ=とげみたいな部分)を
描き足しています。
奥にある麦は、
薄墨をたっぷり含んだ筆で
ぼかすように描いています。
今回は終始、運筆を早めて
一気に描き上げました。
当時、自ら生産しながら、
その米を食べられなかった農夫たちや、庶民。
麦飯は彼らが生きていくための
大切な食料であった、という背景を思うと、
丁寧に綺麗に描く気にはなれなかったです。
適当に描いたというのではなくて、
上品には仕上げたくなかったということです。
まあ今の時代、米は
逆に安く買い叩かれるくらいですから、
この視点での作画は、
あまり伝わらないかもしれませんけどね。
ただ、国の礎は富裕層や為政者ではなく、
市井の民です。
これだけは決してくつがえりません。
まとめ
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今回話したのは、
- 七十二候・麦秋至(むぎのときいたる)
- 水墨画で描いた麦秋至(むぎのときいたる)
についてでした。
次の七十二候は、芒種初候 螳螂生(かまきりしょうず)です。
二十四節気は、芒種(ぼうしゅ)に変わります。