春の霞はなぜ生まれるの?|霞始靆(かすみはじめてたなびく)

こんにちは。
水墨画アーティストの八束徹です。

霞始靆(かすみはじめてたなびく)とは、
霞がたなびき始めるという意味です。

遠くの景色がぼんやりと霞み、
幻想的な風景をその目に映す。

それは山か海か草原か。
はたまたビルの群れか。

この春先の昼と夜の温度差が、
その霞を生み出す
のです。

この記事では、その霞始靆、
そして今回描いた水墨画、

について話していきます。

*2月23日から2月27日頃の七十二候は、
雨水次候、霞始靆(かすみはじめてたなびく)です。
二十四節気では雨水(うすい)
その雨水を3つに分けたうちの2番目(次候)です。

七十二候・霞始靆(かすみはじめてたなびく)

たなびく」とは、
棚引くと書き、横に長く漂うこと。

この時季は昼と夜の温度差が大きく、
水蒸気の粒が塵と入り混じり、
大気中を舞う
ようになります。
それが幻想的な霞を生み出します。

霞というと山の中や
田舎でのイメージが強いですが、
都会でも、実は朝早い時間などに、
街に霞がかかっていることって
ありますよね。

そんな朝の霞を朝霞、
昼は昼霞、
夕日に霞がかかれば夕霞と呼びます。

他にも霞の海、霞の衣、春霞など、
すべて春の季語です。

ただ単に霞がかかるだけのことで
これだけの言葉
を作り、
そしてそれぞれにそれぞれの情景が浮かぶ。
こういった感性に触れると、
日本に生まれて良かったなあと
つくづく思います。

高台から見下ろす、
霞んだ肌寒い朝の街並み。
霞たなびく遠くの山々。
霞立つ水面の水鳥たち。
ハクチョウ達は北へ向かい飛び立つ。

そんな幻想的な風景に
心を奪われているうちに、
次の季節がやってきます。

その間に少しだけ何か、
あんな痛みやこんな痛みを、
忘れさせてくれる時季なのかもしれません。

たとえ遠くからでも
その佇まいに足を止めて、
ほんの数分だけ、
霞たなびく朝の街並みや霊峰を眺める。

そんな時間を作れるだけでも、
何か得るものはあるのではないでしょうか。

七十二候を水墨画で描く〜霞始靆(かすみはじめてたなびく)

和紙に水を湿らせて、滲み方を変え、
薄墨で、霞がぼやけた感じを
出しています。

ぼかし、というテクニックです。

クリアな現実の世界と、
ぼやけた幻の世界。

霞がかかった遠い景色は、
何か自分のかかえた痛み、悲しみを
一緒にぼやけさせてくれるような、
不思議な魔法を持っている気がします。

痛みや悲しみを忘れてしまうには、
幻という嘘の世界が必要なのかもしれません。

その世界に夢中になって、
気がつくと私はその景色に取り込まれて、
知らない森の中にいました。
その世界に夢中になって、
疑いもなく私はその森の中を歩き続けました。

歩いても歩いても、
道の先は霞んだまま。

そしてようやくその道は、
どこにも辿り着かないと知るのです。

魔法はやがてとけます。

リアルな世界だけが、
人生の舞台なのです。

迷子になって帰ってこない
なんてことがないように。

リアルな世界で夢を見てやりましょう。

まとめ

今回話したのは、

  • 七十二候・霞始靆
  • 水墨画で描いた霞始靆(かすみはじめてたなびく)

についてでした。

次の七十二候は、
雨水末候 草木萌動(そうもくめばえいずるです。