なぜ母の日といえばカーネーション?5月の第二日曜日は「母の日」

5月の第二日曜日は、母の日。
年に一度、母親に感謝をする日です。

しかしなぜ、母の日ができたのでしょう。

その始まりはアメリカの南北戦争でした。

この記事ではその由来について、
話していきます。

母の命日に送られた白いカーネーション

アメリカで起きた南北戦争
(奴隷制度の反対派と継続派の内部戦争)中、
母の働く日と称し、
敵味方関係なく負傷者のために
地域の女性を集めた
アン・ジャービスという活動家がいました。

このアンの死後、娘であるアンナが、
その命日に贈ったものが、
この時期に最盛期を迎える
白いカーネーションだったのです。

アンナ・ジャービスは「母親が生きている間に感謝を伝えるべき」という信念のもとに、それを社会に広める活動を行いました。
母の血を受け継いだのですね。

それが母の日の始まりとされています。

やがて日本もその起源にならい、
自国に同じ風習を設けました。

それが私達が毎年迎える、
母の日なのです。

国によって違う母の日の由来

ただ、世界中に母の日はあり、
それぞれいろんな起源を持っています。
アメリカ初の由来が全てではないのです。


例えばフランスは、5月の最終日曜日ですし、
イギリスではイースター(復活祭)の3週間前の日曜日、
韓国では、父母の日として
両親へ感謝する日が設けられています。

色によって変わる意味合い〜赤と白のカーネーション

母の日には、その母親が存命なら、
赤いカーネーション、
亡くなっていれば、
白いカーネーションを送ると
いわれています。

ただ、現代ではカーネーションも
他のたくさんの花同様、
品種改良で一年中
咲くようになりましたから、
開花の喜びも
薄れているかもしれません。

実際、今では母の日には、
カーネーションに限らず、
なんでも好きな花を送ったり、
花ではないものを
送ったりするようになっていますね。

けれど、なにしろ母の喜ぶ顔を
見るのが一番ですから、
それが叶うのならば、
カーネーションにこだわる必要はないですし、
アンナも、この日を作れてよかったと、
心から思うはずです。

あとがき

家族にはいろんな形があると思います。

母親の顔など見たくない人もいるでしょうし、
そこに口を出す気はありません。

ただ、この「母の日」に報われる母子が
一組でも増えればいいなと
思っています。

気がつくと、いつのまにか年老いているのが、
親というものですから。