5月の第二日曜日は、母の日。
年に一度、母親に感謝をする日です。
しかしなぜ、母の日ができたのでしょう。
その始まりはアメリカの南北戦争でした。
この記事ではその由来について、
話していきます。
目次
母の命日に送られた白いカーネーション
アメリカで起きた南北戦争
(奴隷制度の反対派と継続派の内部戦争)中、
母の働く日と称し、
敵味方関係なく負傷者のために
地域の女性を集めた
アン・ジャービスという活動家がいました。
このアンの死後、娘であるアンナが、
その命日に贈ったものが、
この時期に最盛期を迎える
白いカーネーションだったのです。
アンナ・ジャービスは「母親が生きている間に感謝を伝えるべき」という信念のもとに、それを社会に広める活動を行いました。
母の血を受け継いだのですね。
それが母の日の始まりとされています。
やがて日本もその起源にならい、
自国に同じ風習を設けました。
それが私達が毎年迎える、
母の日なのです。
国によって違う母の日の由来
ただ、世界中に母の日はあり、
それぞれいろんな起源を持っています。
アメリカ初の由来が全てではないのです。
例えばフランスは、5月の最終日曜日ですし、
イギリスではイースター(復活祭)の3週間前の日曜日、
韓国では、父母の日として
両親へ感謝する日が設けられています。
色によって変わる意味合い〜赤と白のカーネーション
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2022/06/img_3197.jpg)
母の日には、その母親が存命なら、
赤いカーネーション、
亡くなっていれば、
白いカーネーションを送ると
いわれています。
ただ、現代ではカーネーションも
他のたくさんの花同様、
品種改良で一年中
咲くようになりましたから、
開花の喜びも
薄れているかもしれません。
実際、今では母の日には、
カーネーションに限らず、
なんでも好きな花を送ったり、
花ではないものを
送ったりするようになっていますね。
けれど、なにしろ母の喜ぶ顔を
見るのが一番ですから、
それが叶うのならば、
カーネーションにこだわる必要はないですし、
アンナも、この日を作れてよかったと、
心から思うはずです。
あとがき
家族にはいろんな形があると思います。
母親の顔など見たくない人もいるでしょうし、
そこに口を出す気はありません。
ただ、この「母の日」に報われる母子が
一組でも増えればいいなと
思っています。
気がつくと、いつのまにか年老いているのが、
親というものですから。