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江戸時代に日本の中心となった「日本橋」
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千代田区にある日本橋川。
江戸幕府をつくりあげた
徳川家康の街道整備計画により
その川に架けられた橋が、「日本橋」です。
その後、江戸幕府は、それぞれ
地方へ伸びる五街道をその橋へと結び、
結果的に江戸を日本の中心としました。
日本橋という地名も、もちろん、
この橋の名前から取られました。
五街道とは、江戸を中心として、
それぞれ別ルートで西へ向かう
東海道、中山道、甲州街道と、
北へ向かう日光街道と奥州街道の
5つの街道のことです。
もちろん防衛のために各所に関所が置かれ、
通行手形も必要になり、
今の時代のように自由に
行き来できたわけではありませんでしたが、
その基点となった日本橋の町は、
必然的に江戸で一番栄えた場所になりました。
特に日本橋は商業の町として栄え、
たとえば今でもある三越百貨店は、
今でこそ百貨店として知られていますが、
その当時は三井越後屋呉服店として
日本橋に開業し、
成功を収めた呉服屋が始まりです。
浮世絵などにも、
そんな日本橋の様子は
いくつも描かれています。
石造りの橋へ〜火事で焼け落ちた回数は計10回
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江戸は火事が多い町でした。
当時は現代のように消防車が
ホースで水をかけるといった技術はなく、
一度火が出ると、
火の元の建物を壊すしかありませんでした。
壊しても壊しても、風にあおられれば、
火は周囲へ燃え移ります。
その火はやがて橋まで燃え広がり、
日本橋は何度も焼け落ちました。
明治の時代まで、
なんと計10回ほど燃えています。
時代の流れとともに、
日本橋は木造から石造に改修され、
明治44年、4月3日に
石造橋として生まれ変わりました。
そして明治時代になり、
新たに整備された国道のうちの
7つの国道の基点として、
時代が変わってもまた、
国の中心として栄えてきたのです。
高速道路に空を隠された、今の姿
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その途中で日本橋は
第二次世界大戦の被害にも
見舞われました。
未だにその戦争の傷跡を残したままの
日本橋の上には、
今では高速道路が架かり、
橋の上から空を見上げることは
できなくなっています。
今ではただ車の音が
上からも横からも
怒号のように響く、日本橋。
歴史を学ぶ中で私は、
過去、日本橋を渡った多くの人達が、
仕事の帰りや、遊びに行く途中や、
そして旅へ向かうその時に、
日本橋の上から見上げた空は
どんなふうだったのだろうかと、
思い描いてしまいます。
高速を地下に通す計画もあるそうですが、
その空の青さを橋の上から拝める日は、
いつになるのか。
ただただ今は、
思いを馳せるばかりです。