こんにちは。
水墨画アーティストの八束徹です。
寒蝉鳴(ひぐらしなく)とは、
蜩が鳴き始めるという意味です。
夕闇に響き渡るヒグラシの鳴き声は、
いつもどこか寂しさを漂わせていますね。
夏の終わりを感じて、
涼感さえ与えてくれます。
そんなヒグラシですが、
別に他のセミより遅く
生まれてくるわけではないのです。
この記事では、その寒蝉鳴、
今回描いた水墨画、
について話していきます。
*8月12日から8月17日頃の七十二候は、
立秋次候 寒蝉鳴(ひぐらしなく)です。
二十四節気では、立秋(りっしゅう)。
その立秋を3つに分けたうちの2番目(次候)です。
目次
七十二候・寒蝉鳴(ひぐらしなく)
夏の終わりの寂しさとともに
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/08/1-2.jpg)
チチチチチチ・・・・・・
カナカナカナ・・・・・・
夏が影を潜め始めた、
哀愁漂う夕闇に響き渡る鳴き声。
ヒグラシはそんなイメージが強いですし、
七十二候でもこの時期にあわせて、
「ひぐらしなく」としています。
寒い蝉と書く時点で、
まさにその漢字の通りでしょう。
しかし実際はヒグラシは
もっと早い時期から生まれる蝉であり、
梅雨の時期から真夏にかけても
ちゃんと生息しています。
鳴くのは朝夕の涼しい時間帯ですが、
他のセミが目立つせいか
私達が夏の暑さに幻を見ているからか
ひぐらしの声が耳に入ってくるのは
なぜか夏の終わりを感じるように
なってからですよね。
子供の頃、夏休みが終わりを迎える寂しさと
リンクしていたヒグラシの鳴き声。
ほったらかしていた宿題。
墓参りを終えて帰っていった親戚。
母親の夕食の支度。
けれど、夏の終わりの寂しさは、
大人になってからも変わりませんね。
寂しさの種類が
違ってしまっただけで。
蝉が仰向けで死ぬ理由とは?
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/08/4-1.jpg)
ベランダや階段などで見かける、
「ひっくり返った蝉」。
脇を通り過ぎようとしたり、
片付けようとしたりすると、
お決まりの「あの状態」になりますよね。
わかっていても毎回、
心臓が止まりそうになります。
セミがひっくり返っているのは、
重い体に対して足が細いため、
着地する際や何かにつかまるのに
失敗したからです。
寿命が近づいて脚力がなくなった
場合だけではなく、
元気な時でも、ひっくり返ると
自力では起きれないのです。
ひっくり返っていても、
足を開いていればまだ生きてます。
起こしてやればまた飛びます。
飛ぶのが下手なので、
例によってあなたに
ぶつかってくるかもしれませんが。
水墨画で七十二候を描く〜寒蝉鳴(ひぐらしなく)
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/08/img_9154-2.jpg)
そんなわけで今回は、
ひっくり返った蝉を描きました。
体も羽根も薄墨で形を取ってから、
濃墨で、目、脚、輪郭などを描いています。
濃墨でくっきりさせたい部分は、
最初の薄墨が乾いてから
筆を入れています。
この絵の蝉は脚を広げているので、
まだ生きようとしていますね。
諦めていません。
しかしどちらにせよ、
ひっくり返ったまま終わりを迎えても、
土の上ならばその視野の広い目で
長く過ごした地面を見ながら逝ける。
ベランダなんかのアスファルトの上では、
郷愁もままならない。
彼らも生まれてきた土の上で
死にたいでしょうから、
この絵も地面は土にしました。
まとめ
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/08/2-2.jpg)
今回話したのは、
- 七十二候・寒蝉鳴(ひぐらしなく)
- 水墨画で描いた寒蝉鳴(ひぐらしなく)
についてでした。
次の七十二候は、
立秋末候 蒙霧升降(ふかききりまとう)です。