【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第20話〜木漏れ日

最後に辿り着きたい夢の場所 

今では買わなくなってしまいましたが、
学生時代は漫画雑誌をよく買って読んでいました。

ジャンプ、サンデーは毎週買っていたし、
実際に自分で漫画を描いて投稿したりもしていました。
まあ、なんとか最終選考に残ったくらいでしたが。

この歌は、そんな学生時代に、
その頃に読んだ月刊サンデーに読み切りで載っていた
とある漫画にインスパイアされ書いたものです。

物凄く心に響いた漫画でした。

内容はまさに、この歌の歌詞のような暮らしが描かれたものでした。
人里離れた丘の上の暮らしを描いた物語。

いずれ歳を取ったらこんなふうに生きていたいなと、

東京に出てこんな田舎には二度と帰るものか

という当時の若さに任せた意気込みとは真逆のところで、
そんな思いを馳せていたのです。
田舎が死ぬほど嫌だったのに、
そんな穏やかな田舎暮らしにも憧れていたのですから、
おかしな話ですよね。

若い頃は、多感で、
すぐ夢を見ますね。
そしてその夢みがちな柔らかい心は、
すぐにセンチメンタルを呼び寄せます。

うまくいかない学生生活の中で、
何かにすがるように見た夢だったのかもしれません。

けれど、東京にきて、一応大人と呼ばれる年齢になっても、
その夢は形を変えず、胸に残っていました。
暗く沈みっぱなしな心に、
薄明かりのように灯っていたのです。
だから私は、古いノートを引っ張り出して、
この歌をライブのセットリストに加えるようになりました。

ただ残念なことに、作家の名前もタイトルも
全く覚えていません。
また読めるなら読みたいような、
読みたくないような。
そんな感じです。
当時の私と今では、解釈が変わりますから。

「知った」

ぶんだけ、夢が薄れるということがあるからです。
逆に、当時以上に感動するかもしれませんけどね。

まあ、誰が描いたかもわからないのだから、
再度読める機会はほぼないと思います。

ぼんやりと思い描いたその暮らしには、
喜びばかりではなく、
なぜか寂しさも悲しさも透けて見えていました。

当時の私はこれはきっと、
若いうちに辿り着く場所では
ないんだろうなと感じでいました。

そして今でも変わらずに、
その夢を追いかけています。

木漏れ日

小さな木漏れ日の下
寄りかかって眠ってた
緑色が無色に光る
草原でたったひとり

僕は笑っていた
彼女がそこにいれば
昼食の時間知らせに
駆け足でやってくる

真っ白な雲が西へ
ゆっくりと流れていく
彼女に手を引かれて
家族の待つあの家へ