散った桜と、彼女の真っ直ぐな白い背中
東京に来て6年が経った頃、
初めてちゃんとお付き合いをする女性に出会いました。
その当時の私を受け入れ
愛してくれる女性に出会えたことは、
何ものにも変えがたい幸運であり、大きな財産でした。
彼女と出会って、過去の恋に浸る自分が
ゆっくりと消えていったのですから。
ここで私は大きく変わりました。
しかし若い幼稚な私は、
さも「できた男」のような顔をして、
カッコつかないのにカッコつけて、
健気についてこようとしてくれる彼女を
たくさん傷つけました。
いつも母親が気にかけていた、
気の利かなさ愛情の足りなさが
そこでも見事に出ていたわけです。
胸がチクチク痛むのは本能的なものです。
胸が痛んだから自分には愛情がある
ということではありません。
毎月のライブにはほとんど来てくれました。
東京に来てやっと、ライブに通ってくれる
「彼女」に出会えたことに
ただただ私は浮かれていました。
他にお客のいない私のライブ後の打ち上げ相手は、
いつも彼女だけでした。
そんな日々の中で私は、
自分の夢ばかりぺらぺらと喋りました。
厳しい家の子で、うちに泊りに来るのも大変でしたが、
初めて名古屋に遠征ライブに行った時は、
無理をして一緒に来てくれました。
道を歩く時にしょっちゅう唾を吐く私の悪い癖を、
からかって笑い話にしながらやめさせました。
ジャニーズが好きなのに、私に合わせて
ボブディランのCDを買って
私の好きなものを好きになろうとしてくれました。
私は頑固に自分の好きなものしか聞かなかったのに。
スタジオでの練習にも付き合ってくれて、
CDに使う写真も撮ってくれました。
パチンコで手持ちの金をすって、
金を貸してくれと電話をして、
「情けない」
と泣かれたこともありました。
年中イライラしている私を不意に笑わせてなごませて、
それでも私が怒りそうなことはうまく避けていて、
見事に見抜かれていたのです。
私が当時自分でもわかっていなかった
私のダメなところも、全部。
頑なに人に壁を作って生きている
私の心の隙間に、スッと入り込んでくる。
それに対してこちらは嫌な気ひとつしない。
ああ、これが女性と寄り添うということなんだと
それを初めて彼女が教えてくれたのでした。
そして当たり前のようにそばにあるその感覚に
私はすっかり安心していました。
彼女が私に合わせるために我慢していた
いくつかのことには、気付きもせずに。
そんな幸せの中にあっても私は夢を追いかけ、
そのまま彼女のあたたかい胸の中で
落ち着くことはできませんでした。
たったひとつだけ、ふたりでいる間に
私が彼女にしてあげられたことは、
この歌を書いたことです。
それを「してあげられた」と言っていいのかどうかは
わかりませんが。
そしてふたりの繋がりが、この歌を収録した初めての
自主製作アルバムの完成を待つことはありませんでした。
彼女の手元に、それが届くことはなかったのです。
三度目の池上本願寺の桜を見た後で、
別れが訪れました。
電車の中でひとり、
病に倒れた彼女の報告を受けて、
「俺が守ってやる」
とは言わなかったのです。
言わなかったのではなく、
言えない程度の男だったのです。
彼女の手を離した後、くだらない胸の痛みが、
私を感傷的にさせる日々が続きました。
それからも私はギターを抱えて
ライブを続けていきました。
終わればとぼとぼとギターケースを抱えて
ひとりでボロアパートへ帰る日々に逆戻りしても。
時間が過ぎれば過ぎるほどこの恋は遠くなり、
この歌だけが成長を続けてきました。
歌は人前で披露すればお客さんのものですから、
いちいち思い出に浸って歌っているわけではありません。
ただ、この歌はそんな若き日の恋から
生まれた歌だという話です。
何度目かのホテルのベッドの中で、
「私、ずっとひとりぼっちだと思ってた」
と彼女が言ったのを今でも覚えています。
答えなかったけれど、
それは私も同じでした。
あったかいから、大丈夫
ちゃんと目を閉じるから その白い手で触れてよ
誰かの足音に気を取られたりしないくらい
道の暗いほうで息を潜めていた僕を
偶然にも拾ったのは君なんだから
写真みたいに切り取った時間はいらないよね
あったかいから、大丈夫 大丈夫心配しないで
みんなどこにいても好き勝手な夢を見て
空回りしては傷ついてまた起き上がる
ゆっくり見渡したら明かりは全部消えてた
本当に欲しいものなんてそんなにあったのかな
雨の中、ひとりぼっちでまた誰か泣いてる
あったかいから、大丈夫、大丈夫心配しないで
あの日の桜はもう散ってしまったけれど
いつか誰かが彼に伝えるだろう
雨の中、ひとりぼっちでまた誰か泣いてる
写真みたいに切り取った時間はいらないよね
あったかいから、大丈夫、大丈夫心配しないで