【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第21話〜彼をつれていかないで

憧れたプロテストソング

例によって当時傾倒していた
ボブ・ディランを始め、

アメリカを代表するフォークシンガーである、

ジョーン・バエズや
ウディ・ガスリー
などをよく聴いていた当時に、
いわゆる彼らの歌う
プロテストソングに影響を受けつつ、
テレビのニュースで流れ続けるいくつかの
悲しい事件をもとに、組み立てた歌です。

経験を軸に書いてこそ、人に届くと以前言いましたが、
全くの他人の話を聞いて怒りが生まれ、
それが歌を書かせることもあります。

詩なり、絵なり、小説なり、
何かを表現することに心が向いている人達は
みんな同じだと思います。
まあ、怒りを覚えるということ自体は、
別に表現者だからとか、
そんな区切りはありませんね。

さて、プロテストソングとは、
社会に対する不満や怒り、
要望などで展開していく歌です。
アメリカで60年代に火がついたムーブメントで、
それを受けて日本でもいろんな
プロテストシンガーが生まれました。
ただ、アメリカ人によるアメリカ社会に対する怒りの言葉を、
それと同じ基準でこの日本という国に当てはめても
意味がありません。

だってそれはアメリカ人のための歌なのです。

例えば、ボブ・ディランの書いた
masters of warという歌(邦題は戦争の親玉)を
日本語に訳して、その親玉を日本の
総理大臣に見立てて訴えられても、
確かに大雑把に見ればそうなんだけどなあという
受け止め方しか、私にはできませんでした。

どんな歌でも、自分の言葉で、
日本人としての視点から書かなければ
意味がないんじゃないか、と。

有名なメッセージ性のあるシンガーは、
みんなそうしてますね。
「音作り」やライブ構成は洋楽の真似をしても、
歌詞は日本人の視点で、
日本社会について書かれています。

ただ私は、国が社会が政治がと
本気になって歌にするほど、
自分が世の中に興味がないことに気づき、
やめてしまいました。

興味がないというか、

それに夢中になる自分の人生に興味がないというか。

そしてやがて、自分の手の届くもの、
そばにいるものを守るための生き方が
私の歌、人生のテーマになっていきます。

この歌も結果的には、それと同じかもしれません。

ただ、当時若い私がニュースを見て
感じた怒りについては、
神様だの正義だのと、言っても
虚しいだけになりがちな言葉にさえ、

すがりつくしかない悲しみを人は受けるのか

ということです。

彼を連れていかないで

長い時間だった もう考えたくない
長い時間だった まだまだ続いていくだろう
彼はいつまで 目をつむっているの
ああ神様 彼を連れていかないで

何度も取り乱し 何度も泣き崩れた
何度も取り乱し またいつか泣いてしまうだろう
人の運命を決めるのは一体誰なの
ああ神様 彼を連れていかないで

言葉をかけるのは 感じ取ってくれるから
手を伸ばすのは 触れることができるから
どうして彼を 殺してしまったの
ああ神様 彼を連れていかないで

長い裁判の間に 記憶は薄れていき
被害者は忘れ去られ 加害者は時に救われる
死人の尊厳さえ 失われていくの
ああ神様 彼を連れていかないで

長い時間だった もう考えたくない
長い時間だった まだまだ続いていくだろう
正義はいつまで 目をつむっているの
ああ神様 彼をつれていかないで