ネットで誹謗中傷する人に言いたいこと〜ペンは剣よりも強しではなかったのか

ペンは剣よりも強し〜その言葉を知った学生時代

ペンは剣よりも強し

という言葉がありますね。
私はその言葉が大好きです。
その言葉を強く信じています。

私がまだ学生の頃は、ヤンキーが目立っていた時代です。
目が合った合わない、
ナメたナメられた
誰がケンカが強いか、
生意気な後輩は呼び出され、ete。

そういうことが表立っていました。
変形学生服を着た連中が前から歩いてきたら、
目を合わせないようにする。
意味もなく喧嘩を売られたりするからです。

ヤンキーがみんな嫌なやつだとか、
そういうわけではないですよ。

ただ、私はそういう文化が苦手でした。
不良漫画に出てくるのは、
現実にはいない理想の不良です。
ああいうカッコいい不良はいないのです。

たいてい、学校では暴力をふるえる側が
クラスを仕切るみたいな状態でした。
ケンカが得意じゃないと、下に見てくるわけです。
意味不明ですよね。
もちろん今となれば子供のやっていたことですし、
大人になってからの出会いならば
また別の話ですが、
何か被害を受けた側は忘れませんよね。


たとえば、いじめっ子は当時のことを昔の話だとすませて、
過去にこだわらないカラッとした態度を自己満足に気取りますが、
いじめられたほうは根が深いものです。
いくつになっても覚えています。
当時の不快さは心のどこかに消えずに残っているものです。
我々は大人になったから
愛想笑いができるだけです。

そんな学生時代の私は部屋にこもって
ギターを弾いたり、歌を作ったり、漫画を描いたり。
本を読んだり。
そんな子供が、ふと知った言葉。
それが、
ペンは剣よりも強し
でした。

暴力など使わなくても、
教室の後ろのほうで固まって人を馬鹿にしなくても、
でかい声で騒がなくても、
戦う方法があるのか!と力が湧いたのを覚えています。

そして、私はそのペンを持つ人となり、
それが生み出す芸術的なことをつらぬいて
生きていこうと決意したのでした。

ネット時代到来〜言葉が洪水のよう広がっていく

やがて時代が変わり、ネット文化が台頭してきました。
するとそういったヤンキーはダサいという認識に変わっていき、
これは大袈裟な考え方ではありますが、
「暴力に押さえつけられていた側が
ネットを介して自分の意見を言えるようになった」
のです。

良い時代になったと感じました。
私の青春時代が今だったらなと思ってしまうほどに。

誰もが自由に語るようになり、誰もが均等な力を得たのです。

しかし、それは力を持ち過ぎたのですね。
人間という生き物は力を持ち過ぎるとやはり、
何か大切なものを失ってしまうのです。

ここ最近のネットでの誹謗中傷は、
まるで古い時代に仕返しをしているかのようです。
赤の他人とうすっぺらいつながりを維持して、
いじめられる側がいじめる側に回っただけ。

そんな古典的な、何度も長い歴史の中で
人間が繰り返してきたようなことを、
またやっているのです。
生まれた頃からこういう世の中だったし、
昔話などされてもわからない人もいるでしょう。

しかし、皆、変わり続ける時代の流れに
巻き込まれているのです。

「ペンは剣よりもダサし」なインターネット

匿名で、顔が見えない、顔を見せない
怒らせても拳が飛んでくるわけでもない、
逆に悲しくて泣いていても、
その泣き顔は見えないから
それを見て胸を痛めることもない。

そんな状況下で、
他人を叩く。

愛のない言葉で。
そして、やばくなれば削除して逃げてしまうような、
信念を持たない言葉で。

ネットだろうが紙面だろうが、
キャンバスの上だろうが、
その愛のない言葉は、
あなたのそのペンで綴られたものです。

暴力で人を傷つけるかわりに、
言葉で傷つける。

なんて寂しい話でしょうか。

そのうち、若い頃に散々人を殴りいじめ、
それをいい思い出にしている古い世代に、

あの頃は良かった。
俺たちは直接やりあっていたからな

などと、
古き良き時代アピールされ出したら、
たまらないのです。
考えただけで吐きそうです。
思い出はいいところをかいつまんで美化されて、
憧れを生み出しますから。

持つならば本当の意味で強いペンを〜あなた次第でいくらでも変えられる

何度も言いますが、
ペンは剣よりも強しです。

それは利口な人間が力に頼る人間を陥れる。
そういうことでは決してないのです。

他人に対して、覚悟も勇気もなく愛のない言葉を発する人は、
もう一度そのペンをよく見つめて、
正しい使い方を考えるべきです。

そうしないと、


喧嘩ができない、
もしくは喧嘩をしないだけで、

ダサいな

そう言われたあの時代と、
まったく同じになってしまうのです。

ペンは剣よりも強し

胸を張ってそう言うために必要なことは、
後ろめたさなど微塵もない言葉を綴ることです。

それはどんな言葉でしょうか。

それは人を傷つけるための言葉ではなく、
人を救い守り、幸せにする言葉です。

そんな本当の意味での強さを
こんな時代だからこそ、
私達は手に入れるべきなのです。