こんにちは。
水墨画アーティストの八束徹です。
雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)とは、
雷が鳴り響かなくなるという意味です。
秋の雷は、音もなくピカッと光る
稲妻と呼ばれるものです。
それはなぜ、「稲妻(いなづま)」と
呼ばれるようになったのでしょうか。
その答えは稲作にあるのです。
この記事では、その雷乃収声、
今回描いた水墨画、
について話していきます。
9月23日から9月27日頃の七十二候は、
秋分初候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)です。
二十四節気は、秋分(しゅうぶん)に変わります。
その秋分を3つに分けたうちの 1番目(初候)です。
目次
音のない雷、秋の「稲妻」。その名の由来は?|雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
稲妻の由来。雷との違いについて
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/09/1-9.jpg)
ゴロゴロと物々しい音を鳴らしながら、
黒雲から放電する雷。
秋の雷は、夏のゴロゴロピカピカとは違い、
この秋の雲からピカッと光を放ち、
地球を突き刺す稲妻です。
稲光りとも呼ばれます。
稲妻は雲の中で音をかき消しながら放電し、
地面を突き刺す光の槍です。
一方、夏の雷は、雷鳴の名の通り
音を鳴らしながら、夏の積乱雲から
大雨を引き連れて大地を殴りつけます。
季語もそれぞれ違っていて、
雷は夏、
稲妻は秋の季語になります。
その光の槍が稲妻と名付けられたのは、
それが稲の実る時期に
頻繁に起きていたからです。
稲の実りと寄り添っているという意味で、
稲のつま(夫・妻=昔は配偶者のこと
を両方つまと呼んでいました)
と例えられたというわけです。
雷は神様の仕業?雷=神鳴り
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/09/2-9.jpg)
古来、雷は神鳴り(かみなり)
という意味を持ち、
天の神様の仕業とされていました。
風神雷神の存在も、
それを証明しています。
たとえば、国宝にもなっている
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/09/9.png)
風神と雷神が向かいあう、
圧巻の大作ですが、
その中で、風神は風袋から
風雨を生み出し、
雷神は、太鼓を激しく叩き
雷を起こしています。
この絵からも、
雷は神の起こすものと
信じられていたことが、
よくわかりますよね。
水墨画で七十二候を描く〜秋分初候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2022/09/img_2336.jpg)
今回は雨と雷を描きました。
黒雲は、片隈にした刷毛を使って
描いています。
墨の濃い側と薄い側の位置を考えながら、
バランスを取りつつ塗り重ねていきます。
最初から紙に水を張って描くと
滲み方がなんていうか柔らかすぎて
「黒雲」って感じじゃなくなります。
雨模様は同じく刷毛で、
こっちは薄墨で描いています。
その後「墨が乾くのを待って」から、
胡粉(白色の絵具)で稲妻を描きました。
昔の話ですが、
雷の多い年は豊作になる
と信じられていました。
当時の農夫達は、稲妻を見ると
とても喜んでいたそうです。
稲妻が光れば豊作だと、
農夫の期待に、
雷神は応えたか、応えなかったか。
巡る季節にその姿を閉ざし、
神が天に戻るなか、
下界では稲刈りが始まっています。
まとめ
![](https://yatsukatoru.com/wp-content/uploads/2021/09/3-7.jpg)
今回話したのは、
- 七十二候・雷乃収声
- 水墨画で描いた雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
についてでした。
次の七十二候は、
秋分次候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)です。