【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第24話〜今夜月がどんなに高くても

ギターケースとコイン

音楽活動を続けていく上で、
ライブハウスやバーの他に歌える場所といえば、
路上ライブでした。

昔から私が憧れていた路上ミュージシャンの姿は、
道端にしゃがみ込んで、少しうなだれて、
タバコを吸いながら、決して明るくはない
歌を歌っているといったものです。

けれど当時の路上は、ゆずに憧れた
ストリートミュージシャンで溢れかえっていて、
私が描いてたものはすでに時代遅れでした。

道端には彼らを真似た2人組が次々と溢れて、
集う人達はまるで、クラス会のよう。
その波は、やがて私が出演していた
あちこちの小さなライブハウスにも押し寄せ、
界隈を席巻していました。

ワンマンでなければ、数組の出演者が
順番にステージに立ちます。
集客力のない私と、仲間をたくさん呼ぶ2人組が、
同じ夜に同じステージで歌い、
店はあたかも文化祭のような雰囲気になり、
先に自分のステージを終えた私は
客席の隅っこで疎外感にさいなまれながら、
所在なくそれを観ている。

困ったことに、その疎外感は、
学生時代と同じものでした。
故郷を捨てるように東京へ来て
やっと見つけたつもりの自分の居場所でも、
胸にあるものは、あの頃と同じだったのです。

学校にいても、
職場にいても、
それ。

夢を追いかけていても、
それ。

もはや人生すべてが、
それでできていることに気づいたのです。

東京に来ても、これか。
結局同じなのか。

私はそれを認めたくなくて、
ひたすら姿勢を変えずに歌い続けていました。
実際は歌の内容などは関係なくて、
足りないものはそれではなかったと気がつくのは、
まだまだずっと先のことです。


私は私の世界をと孤軍奮闘しているような気になって、
路上ライブを始めました。
私の歌も誰かに必要とされるはずだと信じながら、
道端にしゃがみ込んで、
うなだれて、
タバコをくゆらせて。

未明の歌舞伎町で、疲れた顔の老爺が、
ありがとうと言って投げ入れていった小銭。
ずっと近くに座って聴いていた、
寂しそうな女の子。
ハンバーガーを買ってきてくれて、
仕事を辞めてきたと話し始めた兄ちゃん。

賑やかな場所は提供できませんでしたが、
私のような男の歌にもそんなふうに
立ち止まってくれる人がいて、
それが逆に私を救ってくれていたことに、
私はもっと心から感謝するべきだったということです。

この歌は、それができない当時の私が、
私の歌などに立ち止まることはないよと
相変わらず自分に浸って書いた
愛の足りない歌です。

今夜月がどんなに高くても

青白い月明かりに 小銭を放り込み
逃げてゆく夜の狭間に ささやかな光を見つける
彼女は天使の言葉を なんとか聞き取ろうとして
悲しみを拭い去ることさえ しばらく忘れてしまう

気持ちを届けるのに ひどく時間がかかって
望むものばかり多くて 
やがて優しさだって色褪せてく
ねえ君のためにできることを 
僕は持ち合わせているかな
この疲れた手がもし 素直なままで
戸惑うことなく 抱きしめることができるなら

ああ今夜月がどんなに高くても
すれ違う他人から得るものなんてないよ
たとえ僕がこうして歌っているのが
君のためではないとしても

かばい続けた傷口は 凍てつく地下道で
ひっそりと息を潜めながら 少しだけ装っている
あんな雨じゃ落とせない こびりついた嘘で
昨夜の退屈をごまかして そしてまた信じるんだ

夜が明けきらないうちに もう一度確かめたいんだ
君と二人で見つけた揺らめく街灯の灯を
覆っていた霧も 少しずつ晴れていくけれど
中途半端に関わった 僕らはもうきっと
会うことはないんだろうな

ああ今夜月がどんなに高くても
すれ違う他人から心はそらせない
たとえ君がそうして さまようのが
僕のためではないとしても