初めまして。
水墨画家の八束徹です。
酒を愛した歌人、若山牧水。
その名を知ったのはつい最近のことです。
沼津に記念館があると知り、
ツーリングを兼ねて、行ってきました。
天候は曇り。
ライディング日和。
のち雨。
目次
千本松に囲まれた沼津市若山牧水記念館
若山牧水について

若山牧水は、戦前に活躍した歌人です。
歌人とは短歌や和歌などを
詠む人のことです。
「牧水」の名は自ら考えたもので、
「牧」は牧水の母の名前から、
「水」は実家の渓谷や雨などから
取ったものだそうです。
これが私が牧水に惹かれた
最初の理由でした。
牧水は宮崎県に生まれ育ち、
早稲田大学を出て東京に住み、
のちには沼津の千本松に魅せられて、
沼津に一家総出で移住しました。
旅先で歌を詠む日々を続けて、
旅の歌集も刊行されています。
酒豪家としても知られ一升瓶の酒を
一日で飲み干すくらいだったそうです。
亡くなった原因も、旅先での体調悪化と、
酒による肝臓への負担が重なったからでした。
享年43歳。
沼津を愛し、沼津で亡くなりました。
歌集もたくさん残していますが、
それ以外に、自らの歌を書にしたためた
作品(掛け軸など)も多く残していて、
私が記念館に行った最大の理由は、
水墨画家としてそれが見たかったから
でもありました。
館内へ〜展示品の数々


庭の松に魅せられながら、館内へ。
入場料を払って展示室へ入ります。
展示室は狭いので、さらっと見るだけだと
あっという間に終わってしまいます。
展示物のほとんどはガラス張りの向こうにあるので、
当然手で触れて観覧したりすることはできません。
飾られた写真に、
その精悍さ、愛情深さなどを感じてしばらく眺める。
綴られた経歴に、
自分とは違う人生を想像して、思いを馳せる。
自筆の原稿用紙に、
こういう字なんだ、結構可愛い字だなとか、
当時でも普通にひらがなと漢字で書いてるんだなとか、
展示品自体の古さに、歴史や時代を感じたり、
私は、そんなふうに思考しながら鑑賞しました。
そんな中で、私が一番衝撃を受けたのが、
この絵でした。

署名の上に”四年生”と書いてありますね。
当時の小学校の学年と年齢の関係性は、
尋常小学校4年生なら10歳、
高等小学校4年生だとしても14歳です。
今と違って、当時は絵を描くならば
墨で描くのが自然だったのかもしれませんが、
それでもこの段階で牧水は、
筆使い、構図、墨の濃淡などを
自然に使いこなしています。
書道作品も素晴らしかったし、
さらに復元された書斎などは、
私もいつかこういう書斎を作ろうという
夢を描かせてくれました。

展示室を出た先の本棚には歌集が並んでいましたが、
手に取ることはしませんでした。
立ち読みではなく、じっくり読みたいので、
後日通販で購入することにしました。
芳名帳には、気持ちを込めて
全て書かせてもらいました。
そうすることで
引き継がれた想いみたいなものが
届く気がして。
そして庭を散策しながら裏手に回ったところ、
裏門から堤防に続く道を見つけたのです。

裏門から広がる海と千本浜

生い茂る松を潜るようにして丘に上がると、
堤防の先に海が広がっていました。
松の周りにはとんぼが何匹も舞い、
広がるその日の空は、灰色。
左手には沼津港があり、
浜辺には流木がたくさん打ち上げられていました。

この先には、千本浜海岸と名付けられた海水浴地や、
牧水の歌碑も建てられている、千本浜公園があります。
しかし私は、その千本浜の外れの寂れた景観と
さっき見た牧水のいくつかの歌がリンクしてしまって、
綺麗に整備された場所へ行く気にはなれませんでした。
堤防に座り、しばらくその海を眺めました。
沼津の空の下で、静かに揺れている海。
牧水がこの海を見ながら、
どんな風に心を動かされていたのだろうかと
思い巡らせながら。
まとめ|雨〜急かされた帰り道

記念館を後にしたところで、
ぽつりぽつりと落ちてきた雨。
運転中に降られることはありませんでしたが、
横浜に帰宅後、しばらくして街は雨模様に。
雨は予報通り翌日も降り続け、
私は雨の音を聞きながら
久しぶりの日本酒と、
先日の旅の記憶に酔いしれました。
酒豪と呼ばれた牧水ほどには、
呑めないけれど。



