真っ黒なカラスがカーカーカーと、守るものはあるかと羽ばたいていく

絵に込めたストーリー

初めにつけたタイトルは、
「向かう、孤」でした。

一人暮らしの部屋でハイボールを作り、
酔いどれていた夕刻。
窓ガラスに滲んだ夕日の中を
カーカーカーとカラスが羽ばたいていく。

私はそこに自分の孤独を重ねて
この絵を描きました。

迷いながら自分の道を往くことを選択し、
他と別れていく姿を描いたのです。
三羽いても、「孤」とつけたのは
そういう意味です。

「向かう、孤」
このタイトルで公募展にも出品し、
賞をいただくに至りました。

しかし、その後調べていくと、
カラスという鳥が私のイメージとは
全く異なることを知りました。
不吉なイメージが強くて
嫌われものだと思っていたそのカラスが
実は社交的で家族を大切にする
鳥だということがわかったのです。
まあ生き物はみなそうかもしれませんが、
今までカラスをそういう目で
見たことがなかったので驚きでした。

そしてほとんどのカラスは
自分の巣で死んでいきます。
死期を悟ると家族の元から離れず
そのまま息を引き取るのです。
外でカラスの死骸をほとんど見かけないのは
そういう理由からです。

さらに死んだカラスの元には
仲間たちがそこに集まり、
葬式をするとも言われています。

仲間を作り、寄り添い、家族を守り、弔う。

なんだか、人間と似ていませんか?
私にはそれが人の群れと
重なって見えたのです。
特に、いつも見ている
都会のカラスが。

この絵を描いたのと同時期に
私はカラスという歌を作ったのですが、
こんな歌詞を書いています。

真っ黒なカラスがカーカーカーと
守るものはあるかと羽ばたいていく
真っ黒なカラスがカーカーカーと
滲む夕日に溶けていく

これは守るべき家族のもとへ
向かう姿を綴ったのですが、
それは未だそこに辿り着けていない
この歌の主人公の視点から見たものでした。

そしてその視点は、
こうして知識を経たことで
少しは成長を遂げたものに
変わっていったのです。

三羽いても、それぞれが孤独
それは今でも同じです。
みな根本的に孤独です。

けれど生きることは、
その孤独を受け入れながら
他を愛することです。

ここにいる画家は今でもまだ
そう自分に言い聞かせている程度の男ですが、
今、この三羽が追いかけていく先が、
他を切り捨てた「痛み」でないことは
明らかです。

守るものはあるか

今、彼らはそう言い残して
飛び去っていくのですから。

カラス 

こんな夕暮れが 何様のつもりで
部屋に差し込んで 人を寂しくさせるのか
俺だって別に好き好んで
傷ついたり、傷つけたりしてきたわけじゃないぞ

真っ黒なカラスが カーカーカーと
向かいのマンションの上を羽ばたいていく
真っ黒なカラスが カーカーカーと
にじむ夕日に溶けていく

四月にしては暑い 夕刻とハイボール
互いの痛みに 触れ合えた白昼夢
繋いだ手と 辿り着く場所
懺悔なんかじゃなくてさ 愛したいだけなんだ

真っ黒なカラスが カーカーカーと
今日はしまいだと羽ばたいていく
真っ黒なカラスが カーカーカーと
にじむ夕日に溶けていく

転んで膝を擦りむいた七つの子が
泣くもんか、泣くもんかと歯を食いしばって
立ち上がった

真っ黒なカラスがカーカーカーと
守るものはあるかと羽ばたいてゆく
真っ黒なカラスがカーカーカーと
にじむ夕日に溶けていく

真っ黒なカラスが カーカーカーと
もう用は済んだかと飛び去っていく
真っ黒なカラスが カーカーカーと
にじむ夕日に溶けていく
にじむ明日へ溶けていく

作品詳細

2019年4月作画*半切
2022年10月の個展にて販売済みです

*著作権は八束徹に帰属します。
絵のダウンロードや無断転載はお控えください。

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