アーティスト活動をしている人が、
歌なり絵なり、発表した自分の作品に対して
自分はだめだ。
自分の作品はだめだ。
やめて良かった。
そう言うのを聞いたことはありますか?
その人を好きになったあなたに対して
その人の作品を好きになったあなたに対して、
とても失礼な台詞です。
それをわざわざ責めたりはしないかもしれませんが、
寂しいですよね。
私も言ったことがあります。
ごめんなさい。
この記事では、自分の作品を否定してしまう理由、
負けているということ、
そしてそれは大切な人を悲しませるということについて
話していきます。
目次
何故否定するのか
昔と今の自分と比べる
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真面目に続けていれば、
うまくなるのは当たり前です。
ということは、古い作品は
今よりレベルが低いということになりますね。
それが恥ずかしくて、だんだんと
過去の作品を否定するようになります。
ただ、本当に真剣にやっていたら否定はしないはずです。
その時は真剣だったのならば胸を張れるはずです。
今、完璧だと思ったものは、
成長によって不完全なものに変わります。
次の作品を手掛けたら、その時点で変わっています。
昨日の作品を今日否定し、今日の作品を明日否定する
その繰り返しです。
いちいち過去の作品を否定していたら、
作品など一生発表できません。
その時真剣に心を込めていたか。
本気でやっていたかどうか。
作家はその軸をぶれさせてはならないのです。
他人の作品と比べる
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上手い人と比べて、
その力の差に愕然とすることがあります。
しかし、そんなのは当たり前です。
世の中には自分より優れている人はたくさんいます。
そしてその人は、こちらが思う以上に、
努力と経験を重ねています。
そんなレベル違いの作品に呑み込まれて、
自分自身を見失ってしまっている場合もあります。
そして、多くの人に受け入れられている人は、
受け入れられるためにどうしたらいいかを勉強しています。
ただ単に、
作りました。どうですか?
と言っても、見てもらえなければ
意味がないことをわかっています。
では見てもらえるにはどうしたらいいのか。
それを芸術脳とは別なところで考えています。
結局負けを認めているだけ
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みっともない姿を見せずに、
スマートに生きている人はいるでしょうか?
憧れのあの人は、私よりも多く学び、
私よりも多く考えています。
そのぶん転んで怪我をすることも、
大きな壁にぶつかることも多いはずです。
みっともない姿で惨めに
這いつくばってきたのではないでしょうか。
たった今もそうかもしれません。
けれど人はまた立ち上がれるし、壁は登れるのです。
作品作りは、人生と同じです。
負けを認めて諦めてしまっては、
今までやってきたことが台無しです。
自己否定は誰かの夢を奪う
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道を変えるのは悪いことではありません。
うまくいく方を選べばいいのです。
やめるのも自由です。
しかし、過去に積み重ねた作品という
自らの財産を否定しては、
そこで出会った人も否定することになります。
発表した作品は、自分から生み出したものです。
誰が何を言っても、自分がそれを否定してはだめですよね。
自分だけは愛してやらないと。
一人の人間としてもそれと同じことです。
自分を愛せなくなるのは、
いちいち他人と比べたり、
昔の未熟な自分を掘り起こすからです。
自分は自分です。
強い弱いでもなく、
上手い下手でもなく、
器用か不器用かの話でもなく、
全部どうだってよくて、
自分は自分であり、今は今なのです。
決して否定してはいけないのです。
まとめ
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今回話したのは、
- 自分の作品を否定してしまう理由
- 負けを認めてしまう自分自身のついて
- 自分を否定すると自分を好きな人のことを悲しませてしまうということ
についてです。
私はもう二度と、軸をぶれさせるつもりはありません。
ぶれないだけの、胸を張れる絵を描いていきます。
すでにあなたの手元に渡り、
あなたの心に伝わったもの、
そして、これから届けていく新しい作品に対して
あなたが夢を失わないように。