始まりの場所・日本の中心となった橋と町〜4月3日は日本橋開通記念日

江戸時代に日本の中心となった「日本橋」

千代田区にある日本橋川。

江戸幕府をつくりあげた
徳川家康の街道整備計画により
その川に架けられた橋が、「日本橋」です。

その後、江戸幕府は、それぞれ
地方へ伸びる五街道をその橋へと結び、
結果的に江戸を日本の中心としました。

日本橋という地名も、もちろん、
この橋の名前から取られました。

五街道とは、江戸を中心として、
それぞれ別ルートで西へ向かう
東海道、中山道、甲州街道と、
北へ向かう日光街道と奥州街道の
5つの街道のことです。

もちろん防衛のために各所に関所が置かれ、
通行手形も必要になり、
今の時代のように自由に
行き来できたわけではありませんでしたが、
その基点となった日本橋の町は、
必然的に江戸で一番栄えた場所になりました。

特に日本橋は商業の町として栄え、
たとえば今でもある三越百貨店は、
今でこそ百貨店として知られていますが、
その当時は三井越後屋呉服店として
日本橋に開業し、
成功を収めた呉服屋が始まりです。

浮世絵などにも、
そんな日本橋の様子は
いくつも描かれています。

石造りの橋へ〜火事で焼け落ちた回数は10回

江戸は火事が多い町でした。

当時は現代のように消防車が
ホースで水をかけるといった技術はなく、
一度火が出ると、
火の元の建物を壊すしかありませんでした。

壊しても壊しても、風にあおられれば、
火は周囲へ燃え移ります。

その火はやがて橋まで燃え広がり、
日本橋は何度も焼け落ちました。
明治の時代まで、
なんと計10回ほど燃えています。

時代の流れとともに、
日本橋は木造から石造に改修され、
明治44年、4月3日に
石造橋として生まれ変わりました。
そして明治時代になり、
新たに整備された国道のうちの
7つの国道の基点として、
時代が変わってもまた、
国の中心として栄えてきたのです。

高速道路に空を隠された、今の姿

その途中で日本橋は
第二次世界大戦の被害にも
見舞われました。
未だにその戦争の傷跡を残したままの
日本橋の上には、
今では高速道路が架かり、
橋の上から空を見上げることは
できなくなっています。

今ではただ車の音が
上からも横からも
怒号のように響く、日本橋。

歴史を学ぶ中で私は、
過去、日本橋を渡った多くの人達が、
仕事の帰りや、遊びに行く途中や、
そして旅へ向かうその時に、
日本橋の上から見上げた空は
どんなふうだったのだろうかと、
思い描いてしまいます。

高速を地下に通す計画もあるそうですが、
その空の青さを橋の上から拝める日は、
いつになるのか。

ただただ今は、
思いを馳せるばかりです。