【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第9話〜嵐の夜

ようやく踏み出した一歩と、あの日の信念

18歳で東京へ出て来て、3度目の夏。

とうに20歳を過ぎていた私は、
ようやくライブハウスのオーディションを得て、
ライブ活動を始めました。

そのライブ会場が、その後長く出演することになる、
当時まだ渋谷にあり、渋谷アピアと名乗っていた
オリジナル曲専門のアコースティック系ライブハウスでした。
(現在は目黒区に移り、アピア40という名前で営業しています。)

緊張しながら向かったオーディション時の渋谷アピアには、
ギターケースを抱えた歌うたい達がひしめきあっていました。
そこにはその人数分だけの夢が転がっていました。

二度目でなんとか合格した私は、
ノルマのシステムなどを説明され、
自分の予定を店に伝え、
夢への第一歩を踏み出した自分に浮かれながら、
ソワソワしながら帰路につきました。

そして暑い8月の夜。
その渋谷アピアにて人生ではじめての
弾き語りライブを行ったのです。

4組出演のブッキングライブ。
与えられた30分という気の遠くなるような長い時間。
私は5つの歌を携えて、ステージの椅子に座りました。
客席はまばらで、ひねくれた不器用な男のライブには
おあつらえ向きな環境でした。
ありがたいことに、故郷から、
同じように退屈な高校生活を過ごした同級生が2人、
わざわざ東京まで見に来てくれて、
緊張する私を救ってくれました。

私の感謝はあまりにも足りませんでしたが。

その初めてのライブの一曲目で歌ったのが、
この歌です。
飛行機事故から発想を得て
それを人生のテーマに置き換えたものなので、
その後あまり気が乗らなくなり、
それ以降は一度もライブでは演奏しなかった歌です。

当時の私は、事あるごとに仲間仲間と唱え、
大勢で寄り添いあうことを嫌っていました。
もちろん生きていくためには助け合う仲間も必要です。
誰だって一人で生きていくのは無理です。
ただ私は、自分の立場を確保するためだけや、
ひとりぼっちを人に笑われないためや、
笑われないように笑う側に行くためなど、
そんな理由で仲間を作りたくはありませんでした。

それを寂しさの理由にするのは違うんじゃないかと。
それは人を自分の都合のいいように利用しているだけじゃないかと。

自分はそんなことはやりたくない。
少なくとも自分からは。
その信念を貫くことが、当時意地でも譲らなかった
私にとっての「正直」な生き様でした。

たとえそのせいで自分がずっとひとりぼっちだとしても、
その信念を曲げる気はなかったのです。

あの時の私には、それしかなかったのです。
それしか見えていなかったのです。

私はこの歌を書きあげ、
初めてのライブの一曲目で歌い、
それはその後の20年以上における私自身のライブ活動を、
最終的に象徴する形になったのです。

嵐の夜

激しい嵐の夜 雲を突き破り
お前は深い海へと墜落した
操縦が効かなくなり 不安定になり
やり直そうとしたが間に合わずに

お前の選択が間違っていたわけじゃない
多くの苦しみを乗り越えて 
常識にしがみついて
打ちのめされても諦めず 
飛び立ったその矢先に

だが誰も気に留めなかった
人の流れは変わらず続いていった
お前が失うまいと必死に
離さなかったものを
人知れず 胸に抱いて

波打つ海の上 お前の傷跡が
寂しくただ揺れ続けている
あの日の悲しみがひとつ 怒りがひとつ
悔しさがまたひとつ揺れている

お前の墓標には お前の名前が刻まれ
そして孤独な海の上には敗北が刻まれる
だけど友達よ 俺の中でお前は泣いてはいない

結局誰も気に留めなくても
人の流れが変わらず続いていっても
お前は失わなかった 最後まで
守り通したんだ
人の記憶から消え去っても

そして俺もやめたりしない
あの軽薄な優しさが薄れていっても
お前が失うまいと必死に 
離さなかったものを
俺もまた持っているんだ
人知れず胸に抱いて