【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第11話〜東京暮らし

Hard Times In Tokyo Town

東京に出てきた頃、
私はボブ・ディランに傾倒していました。

ほとんど毎日、彼の歌ばかり聴いていました。

高校生の時にNHKで放送していた
ボブディランの30周年記念コンサート。
そこで彼が歌った歌の歌詞。
当時好きだった長渕剛や尾崎豊の
自由な歌詞を遥かに超えるメッセージ。

こんなことを歌詞にしていいのだと。

当時の私が知る、どんなにその歌詞を称賛された歌い手も、
歌の歌詞としての枠を超えてはいませんでした。
言葉の選び方とかではなく、

「歌として書く歌詞はこの枠内」

といった形式の中にそれらの歌はありました。
その枠からはみ出していたのがボブ・ディランだったのです。
要するに一辺倒のテーマである、

愛だ夢だ
を包み込みながらも、それ以上のことを歌っていたのです。

私は衝撃を受け、しかしその夜はあまりのことに
受け入れられませんでした。
その後上京してから東京駅でふと手にしたCD、
ワゴンセールの非正規のボブ・ディランベスト。
それが私の音楽性を一気にひっくり返したのでした。

私が出演していたライブハウス、渋谷アピアは
アコースティック系のお店でしたから、
ディランのようなフォーク系のアーティストが好きな出演者は
他にもたくさんいました。

共演者に、ディラン好きでしょ?
みたいなことはよく言われました。

まさにお誂え向きだったのですが、
その反面私がやっている音楽は、日本で流行していた
「今の音楽」とは大きくかけ離れていました。

今でもかけ離れていますね。

それでも当時は私はディランのようにクールに、
今の日本の芸能界に切り込んでいける気でいましたけれど。
恥ずかしながら。

それがだんだんとプロになること、
売れることから興味が薄れていきます。
自分の歌いたいことを変えなければならないならば、
歌っている意味がないからです。
とはいえ、それさえ突き破る信念と才能があれば
違っていたかもしれませんが。

この歌は私がそんな感じに傾倒していたボブ・ディランの、
「Hard Times In New York Town」
からインスピレーションを得て書いたものです。
こんなふうなアルペジオで、語り口調で、
私は私なりの

Hard Times In Tokyo Town」

を歌いたいと。


その当時働いていた倉庫では、昼休みはだいたい
外でいつもの2〜3人で弁当を食べていました。

「職場に馴染む」
などとは程遠い、暗い顔をした私と
周りを気にせず関わってくれた人達でした。

このことから
「一人になると〜」
の歌詞が生まれました。

その後もいろんな場面でこの歌詞に当てはまることがあり、
自分の作品の不思議さを今でも感じています。

東京暮らし

朝の日差しにまた吐き気がしている
青白い顔でいつもの職場に出かけていく僕は
辛ければとにかく人に寄りかかり
おざなりな感謝の言葉と引き換えに見返りはでかい

一人でいれば暗くなり
二人になると話し込み
三人になったら安っぽい会話をして
なんの不自由もない東京暮らし

おとなしく働けば金は入り込み
無駄なものも買えてそしてこうして歌うこともできる
ちょっとの寂しさにこれが孤独かと
乾いた心を開いてみれば たいした傷もない

一人でいれば暗くなり
二人になると話し込み
三人になったら安っぽい会話をして
なんの不自由もない東京暮らし

街を出てこれからは強く生きようとして
結局は家族の優しさにいつだって頼ってる
澄ました顔をして独り立ちどころじゃない
ただもう誰かに助けられながら尖っていくつもりはないが

一人でいれば暗くなり
二人になると話し込み
三人になったら安っぽい会話をして
なんの不自由もない東京暮らし

僕はとにかく早いとこなんとかしたい
今更だがようやく不安に駆り立てられている
こんな退屈な歌でも歌わないことには
長い間この街に居続ける気はさらさらないんだ

一人でいれば暗くなり
二人になると話し込み
三人になったら安っぽい会話をして
なんの不自由もない東京暮らし

苦しさほんの少し東京暮らし