その拳は、誰の言葉で握られたか

──思考の静寂、アイコンの喧騒

*前提として、これはどっちがどうとかの話ではない。
私はブルース・スプリングスティーンが大好きだ。

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さて、トランプ大統領への反対運動をする
ロックミュージシャン。
これこそ、ロック。

なんだろうか?

盲目なファンは歓喜して拳を振り上げる。

「反体制こそ。ロック」

この美しい構図に踊らされ、
果ては自己救済のために噛み砕かれた
ビターチョコレートなんじゃないだろうか。
ほろ苦い青春と人生を謳歌するための。

たとえば、ブルース・スプリングスティーン<が
トランプへの抗議を表明したとき、
彼が言うのならば、と、盲目に右にならうファンも多いだろう。
もちろん自分の意見を持つ人もいるだろう。
彼の国は自由の国らしいから。

しかし、自分で深く考えることをしない人間のほうが
はるかに多いから、
指導者が存在するのだ。
浅くではない。深く、だ。
誰かに答えを求めるのは「深く考える」ではない。
世の名言は全て言った本人が出した答えだ。

こう考えてみる。彼が言うからではない。
こう考えてみる。彼が言うことだけを鵜呑みにしてはいけない。
こう考えてみる。私は他人のフィルターで
世界を決めつけているのかもしれない。

たとえば、

躓きかけた人の襟首を
咄嗟に掴んで体を起こしたAさん。
襟首をつかまれたせいで、
首にあざができたBさん。

「いくら人助けとはいえ、襟首を掴むのは非道だ」
「彼は転ばなくて済んだ。Aさんは英雄だ」
「違う、Aを断罪せよ」
「何を言うか、Aは無罪だ」

こんなような争いを、
人生を賭けて続けている人達がいる。
続けざるを得ない人達がいる。

そしてそのロックシンガー達はたいてい、
そのどちらかのアイコンになる。
たとえ本人が、そんなことを伝えたいわけじゃなくても。

もう一度言うが、これはどっちがどうとかの話ではない。

伝わらない人は、それでいい。

またどこかで呑もう。
この話は、しなくてもいいからさ。

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