私たちは日常で腹が立つ出来事に遭遇すると、つい自分の感情が主役になってしまいます。
怒りに包まれたその瞬間は、まるで熱いフルフェイスのヘルメットをかぶっているかのように、視界が狭くなっている状態です。
このときの自分は、「自分が一番正しい」と信じて疑いません。
自分の怒りを振り返り、「もしかして間違っていたかもしれない」と考えるのはとても難しいことです。
では、どうすれば本当の意味での「内省」にたどり着けるのでしょうか。
目次
内省とはもう1人の冷静な自分と向き合う時間

内省とは、そんなフルフェイスのヘルメットを脱いだあとに現れる、冷静なもう1人の自分と向き合う時間のことを言います。
「なぜ私はあんなに怒ったのか?」
「怒る必要は本当にあったのか?」
「他にもっと良い方法はなかったか?」
「誰かを傷つける必要はなかったのではないか?」
こうした問いかけを自分に向けて行うことこそが、内省の本質です。
もちろん、良かったことや自分の頑張りを振り返ることも大切な内省の一部です。
静かな1人の時間が必要な理由

ただし、この内省を深めるには「静かな1人の時間」が不可欠です。
何かをしながらなんとなく冷静になる程度では、心の奥底には届きません。
ヘルメットをかぶったまま、首を左右に振って視野を広げたつもりになっても、それは本当の意味での内省には至りません。
本当に大切なのは、そのヘルメットを脱ぎ捨て、裸の自分で自分自身と向き合うこと。
なぜ静寂が私たちに必要なのか

だからこそ、私たちは「静かな時間」や「一人の空間」を求めるのかもしれません。
心を落ち着けて、自分の内側を見つめる時間は、感情の波を鎮め、より豊かな感性や創造性へとつながっていきます。
アートと内省の関係

私が水墨画で表現したい「静寂」や「余白」は、まさにこの内省の時間を象徴しています。
作品を通じて、見る人が自分と向き合い、心を整えるための「感情を置ける場所」を提供したいと願っています。
まとめ

・怒りに包まれた自分は視界が狭くなっている「フルフェイスのヘルメット」状態
・内省とは、そのヘルメットを脱ぎ、冷静な自分と対話する時間
・静かな一人の時間がなければ、深い内省はできない
・だからこそ、私たちは「静寂」と「余白」を必要とし、それがアートとつながる



