江戸の町火消し。江戸時代には消防団はなかった?〜3月7日は消防記念日

GHQの指導で生まれた〜3月7日は消防記念日

昭和23年の3月7日に
消防組織法が定まり、
それまでの警察機関から独立、
自治体による消防団になりました。

これは第二次世界大戦敗北により
日本を占領していた
連合国軍最高司令官、
GHQの指導によるものでした。

それを記念して
定められた記念日です。

日本の消防の歴史って
そんなに古くなくて、
それっぽい組織ができたのが
江戸時代初期だと言われています。

知っての通り、
そのもっと昔から日本人は
国を作り城を作り街を作り、
暮らしを育んできたのに、
なんだか不思議ですよね。

しかし、電話一本で消防車が
サイレンを鳴らして駆けつけて、
ポンプで噴水し、火を消し、
救助を行う。
これが当たり前になるまでには
まだまだ長い年月を必要としたのです。

江戸のヒーロー「火消し」

江戸時代劇を見ていると
樽を積み上げて屋根がかかったものが
町のなかにあるのわかりますか?

あれは消防用の水を入れたものですが、
当時、火を消すと言えば、
破壊消火がメインでした。
もちろん水も使いましたが、
当時の技術では
燃えさかる住宅の火を
消すことはできませんでした。
なので燃え続ける家の火が
周りの家に移らないように、
燃えている元凶を破壊してしまうのです。

その破壊消火で活躍したのが、
江戸の火消し達です。
江戸じゃ火消しは
相当の人気者だったらしいです。

とはいえ江戸時代は大きな火事も多く、
なんども街を焼き払っては
建て直してきたのも事実です。
火事はそれほどまでに大ごとでしたから、
放火はもちろんのこと、
うっかり火を出してしまった場合ですら、
その犯人は打ち首(斬首刑)だったのです。

その後大正時代に入り
ようやく自動車ポンプが輸入されて、
今の消防団の形に
近づいていくようになります。

まとめ

冬の乾いた風が吹く時ばかりではなく、
春のうたた寝の前にも、
火の用心に気を引き締める。

この記念日はそれを
教えてくれているのかもしれませんね。