【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第25話〜赤い空

朱色の空と怯え続ける少年

私が出演してきたライブハウスは、
ほとんどが出演者3〜5組くらいの
ブッキングライブを行なっていました。

ブッキングライブの演奏時間はだいたい30〜40分枠で、
出演者はその中におさまるように選曲をします。
私の歌は一曲5分位あるものが多いので、
30分だと歌えるのは5曲くらいになります。

その頃の私は、曲数だけはあるので、
毎月全く違う歌を歌ったりしていました。
定期的に出演していた渋谷アピア(現・アピア40)側から
「これ!」
という毎回歌う歌があったほうがいいよと言われて、
選んだのがこの歌でした。

今ではさらに曲も増えて、
あまり歌わなくなりましたが、
ある時期まではほとんど毎回歌うようにしていました。

これは高校一年生の時に、
引き篭もった部屋の窓に挿す夕陽を背に浴びて、
疎遠になった中学時代からの友人を
想いながら書いた歌でした。
部屋のブラインドの隙間から差し込む赤色が、
胸の痛みに染み込んで、息が苦しくなった夕刻に。

お店側からの一言がなかったら、
学生時代の古い歌のひとつとして、
手書きの歌詞カードに埋もれたままだったと思います。

初めは書いた当初の解釈で
その友人を思い出しながら歌っていましたが、
途中から「友人」が「故郷」へと変わり、
新しい解釈で演奏する様になりました。

これを歌ったあとは、いつも
ひとりぼっちな気分になりました。
客席の反応が、この曲だけ違うのです。
それは歌っていて、わかります。

実際は、客席が離れていっているのではなく、
私が自分から遠いところへ行ってしまうのです。

当時の私はステージに立った時点ですでに
人を信じれず怯えているのに、
この歌を歌う時はさらに離れていくのです。

どうしても、客席に語りかけるということが
できませんでした。
何度、解釈を変えたつもりでいても、
結局はあの頃の少年に戻ってしまうのです。
なんにもない空っぽの日々に鬱々とした、
あの頃の少年に。

いつか変わるかもしれません。
けれどその日は、ずっと遠くにあるような気がしています。

だから、そのことについて考えるのはやめました。 

ただ、私の「始まり」は、
この歌だと思っています。

今ではこの歌は、他の出演者のお客さんもいる
ブッキングライブよりも、
ワンマンライブ〜ある程度私をわかってくれている
お客さんの前に立った時に、歌うようにしています。

もちろん、人を信じれずに怯えてステージに立っていた
あの頃とは、もう違います。

赤い空

かけ合う声が現実へと僕を引き戻す
彷徨う前に信じていた答えのない日々

風にやられて潰れた目を背けながら
失ったものを探す
もう少しで届く 聞こえてくるだろう
すくい上げるための冤罪が

忘れないで 傷ついても あの日見た 赤い空を

窓の向こうのざわめく景色を見ながら
静まり返る冷たい部屋の中ひとり

結局鳥になれず 忘れてしまったのか
ただ空に焦がれているだけ
溢れる嘘の上を僕は出てゆくんだ
もぎ取られた翼 抱きしめ

忘れないで 傷ついても あの日見た 赤い空を

あの日君がくれた笑顔さえ今じゃもう
売りに出されてしまう
いくら出したなら 取り戻せるのか 
全ての優しさの理由を

忘れないで 傷ついても あの日見た 赤い空を