祖父の墨の匂い

気が遠くなるほど高い、故郷の空

「おはよう!爺んちゃ(じんちゃ)!」

爺んちゃ=爺ちゃん。
故郷/会津の方言です。

雪深い暗い冬の朝。
穏やかな春の朝。
そして、暑い夏から枯葉舞う秋。

まだ私が小学生で、祖父も元気だった頃。
家族で一番早起きの祖父に勝ちたくて、
何度か、無理やり眠い目をこすりながら
茶の間へ行ったものでした。

けれど、
ほとんどが、負け。

まだ誰も起きてこない暗い朝の時間に、
一番乗りの祖父は茶の間の電気をつけて、
いつもと同じ席に座って、
難しい顔をして新聞を読んでいたのでした。

子供の頃は何も考えていなかったものですから、
朝からああだこうだと話しかけて、
祖父が新聞を読むのを邪魔していました。
自分の話を聞いてほしいというだけで、
わあわあと口を開いて。

そんな時いつも、苦笑いをしながら、
そうかそうかと答えてくれた祖父の横顔を
今でも時々思い出します。

静かに墨を擦る、祈りにも似た横顔

けれど、唯一、

子供ながらにも、今は、
祖父の邪魔をしてはいけない
口を閉じてじっとしている時間がありました。

それが、
祖父の「書」の時間でした。
静かに黙々と墨を擦り、
集中して和紙に墨を染み込ませ、
作品を作り上げていく。

「書」も絵のようなものだなと
思うようになったのは、
今こうして水墨画を描くようになってからです。

しかし当時は、そんな話どころか、
書に特に興味を持ったわけでも
ありませんでした。

ただ、いつもの茶の間で、
誰がいても集中して書いている姿を見ながら、
(もちろん家族はそこを行き来するわけです。
机で茶も飲むわけです。茶の間ですから)

その環境でそれを完成させる集中力が
私には不思議でなりませんでした。

小学生の頃に1年ほど
習字塾へ通ったことがありますが、
それは書への興味ではなく、
そんな祖父に対する
憧れだったのだと思います。

しかし、当時の私は
祖父とは真逆の集中力のなさを発揮して、
段を取るどころか、3級だか4級だかで
終わってしまいました。

その後、ギターを弾くようになってからは
そちらへの興味はなくなってしまいました。

別れは突然にやってくる

上京後、数年して、
祖父が他界しました。

そしてそれからも私は東京の片隅で、
呑んだくれながら自作の歌を、
客席もまばらなライブハウスで歌う。
そんな暮らしを続けていきました。

実家の箪笥の奥に
形見として残されていた祖父の墨。
それが私の手元に来るまでには、
さらに20年近くの年月が費やされました。

いつもマイペースで、
ある意味我が道を行くような人だった祖父。

「お前は爺んちゃに似てる」

私がその後、水墨画を始めた理由は、
そんな祖父に憧れを抱いていた私の心の中で、
墨の匂いが消えなかったからなのかも
しれません。

水墨画の世界へ入ったことは、
偶然ではないのです。

天国へ届け

祖父はとても正直で真面目過ぎて、
自分の作品を外に紹介することが
苦手だったようです。
せっかくの才能を持ちながら、
もったいないといつも言われていました。

なのでいつか、

私が祖父の作品を集めた展覧会をやりたい
と、そう思っています。

そのためにもまずはもっと自身の腕を磨き
画家として認められること。
今度は私のすった墨の匂いが、
天国の祖父の元へ届くくらい、

修行を重ねていくと決めています。

最後の写真は、
2018の正月に私が書いた戌(いぬ)と、
並べて掛けた祖父の書。

この時点では、追いつくにはまだまだ。


墨の匂いがしっかり届くように
日々、墨をすり、学んでいます。