絵だって最初はマネから始まる|一緒にされがちなマネとパクリの本当の意味

その絵って、○○のパクリじゃん

心を込めて描いた絵に対して、
こんなことを言われたらショックですよね。

けれどそれだけでせっかく始めた絵を
やめてしまうのは損
です。

パクリって、芸術の世界でも
無視できない言葉ですが、
パクリとマネは別物なんですよね。

なのに一緒くたにしてしまう人が結構います。
言うほうも言われるほうも。

そもそもパクリとマネの違いって
いったいなんなのでしょうか

今回の記事では、
パクリとマネの違い、
なんでも真似から始まるということ、
自分のオリジナルを
否定してはいけないということ、
オリジナリティは成長し続けるということ、

について話していきます。

パクリとマネの違い

パクリとは、
人の個性を自分のもののように
言うことです。

人の真似を優先することで注目を集めて、
オリジナルよりも目立って
人気を得ているとか、
金を得る算段にしか見えないとか、
それに対して周囲に
不快な気持ちを持たれてしまうとか。

まあそんな感じのことです。

実際、学ぶということは、
すべからくマネから始まります。
これは絵じゃなくても同じです。

真似ることは何ひとつ、
恥ずかしいことではありません。
むしろ、しなければならないことなのです。

ただ、その学びとして真似をしている段階で、
それを自分の作品のように
世間に伝えてしまうと、
それは「パクリ」になってしまうのです。

そこは気をつけるべきところです。

かの茶人・千利休が残した
守破離(しゅはり)」という
言葉があるのですが、これは

「守」は師の教えを徹底的に守ること、
「破」はその学びを経て初めて
その型を破ることができるようになり、
「離」でようやくオリジナルの自分を
出すことができる

といった意味です。

その「守」をクリアしてからが、
自分の作品
です。

なんでも最初は真似から始まる

もう一度言いますが、
学びは真似をすることから始まります。

真似する以外、学ぶ方法はありません
あるとしたら、あなたがこの世で一番最初に
絵を描いた人間になるしかありません。

無理ですよね。

「人の真似しかできない」

こう悩んでいる人は多いですが、
最初はみんな真似から始まるのです。

人間は何かしらの影響を受けて、
さらに学んで育っていくものなので、
似ることはごく自然なことです。

ただ、マネから始まるとはいっても、
実際には完全にマネすることなんて
本当はできなくて、
どこかに必ず「自分」があります。
それは決して消したり隠したりは
できないものです。

だから心配しなくても大丈夫です。
それぞれが今までに影響を受けたものが、
集まってオリジナルになるからです。

なので、自分が感動したもの、
憧れたものをたくさん真似をして、
どんどん学吸収していけばいいのです。

そしてそれがやがて、
唯一無二の個性になっていくのです。

自分の個性を自分で否定しないこと

もしかしたら、

自分の個性を見つけられない
自分の個性を信用できない

そんな悩みを抱えていませんか?

誰かと比べて、

あの人みたいに描けない=才能がない
という悩みは一番意味のないものです。

先述したように、個性を生む要素は、
誰もが持ち合わせています。

この時点でもうすでにねじれて、
ややこしくなっている状態です。

だって「あの人みたいに描けた」ら、
もうそれは個性じゃないからです。

たとえば習いに行った先で
先生の絵を見て感動し、
すごい!かっこいい!
自分もこんなふうに描きたい!
と憧れを持ち、
それと全く同じものを描こうとしても
永遠にその願いはかないません。

技を真似ることと、
同じ絵を描くことは別な話だからです。

それは技術が足りないとか
そういうことではなくて、
影響を受けてきたものが違うのだから、
同じにならなくて当たり前なのです。
それは別に残念なことでもなんでもありません。

漫画でシンプルに例えると
少年漫画の絵に影響を受けた人が、
少女漫画の絵に影響を受けた人と
同じ絵を描くことは
できないということです。

影響はごまかせないのです。

他にも、テレビ、雑誌、看板、
電車の吊り広告など、
ふいに目に飛び込んできて、
心に残った絵、絵柄がありますよね。
そういった影響が混じりあって、
その人個人の、あなたならあなただけの
個性が作られてきているからです。

逆に言うと、オリジナリティのない絵描き、
さらに言うならオリジナルでない人間なんて
この世にはいないということです。

要するに、憧れの強さに負けて、
無駄に自信をなくして、
自分を押さえ込んで、
その個性を隠そうとしては
ダメだということです。


心当たりはありませんか?
私はおおいにあります。
こじれているって言った意味がわかりますよね。
私もこじれていましたから。

あなたはあなたの絵しか描けません。
私も私の絵しか描けません。

誰かと同じになろうとしたら、
それこそ「パクリ」をしようとすること

他ならないのです。
これでは本末転倒です。

そうならないためにも、
自分の中にあるものを否定してはいけません。

成長していくオリジナリティ

上記で話したように、
私も憧れた人のような絵が描けなくて、
下手くそだなあと悩んだことがあります。

ですがのちに、誰かと全く同じ絵など
描けるはずがないという答えに
たどり着きました。

人と同じ絵を描けないから
下手ってことはないのです。
上手い下手はそういうことではないですからね。

もちろん技術や経験が足りなくて
うまく描けないのはまた違う話ですから、
それついての反省や努力は
していかなくてはなりません。

それこそ守破離の「守」が足りない証拠です。

ですがそれとは別に私は今でも、

良いもの好きなものに出会えば、
自身の中に新たな影響として
取り込
んでいます。

「守」に終わりはあっても、
この「取り込み」に終わりはないと思っています。

これが自分の個性を成長させていくのですから。

個性も技術と同じように、
常に成長していくものなのです。

まとめ

今回話したのは、

  • パクリとマネの違い
  • なんでも真似から始まる
  • 自分の個性を否定してしまう罠
  • オリジナリティは成長していく

です。

技術を徹底的に真似して吸収し、
それを自分の中で噛み砕いて、
自然に出てくるものを受け入れて、
自分だけのオリジナルを見つけていきましょう。

そうすればもうパクリだなんて、
誰も言わなくなります
から。