【実体験】エホバの証人の娘と付き合っていました|恋愛禁止のエホバの証人〜愛は宗教を超えるのか

愛は宗教を超えるのか。

結論としては、超えます。
一緒に居続けることだけが
愛ではないと知れば。

それを選択するのが
一番苦しく難しいことですが。

この世に存在する宗教の中には、
信者以外との結婚を許さない
というところがあります。

エホバの証人も同じでした。

この記事では、
そんな家庭に生まれ育った
在りし日の恋人との思い出を綴ります。

1.告白〜「こういう家庭に育った」

家族や親戚筋が、
とある宗教を信仰している

付き合いを始めて
ひと月ほどしたあたりで、
彼女からそう打ち明けられました。

それがエホバの証人でした。

当時は正直、その宗教団体が
どういうものかもよくわかっておらず、
まあ、別に問題はないんじゃないかと
楽観的に受け止めていました。

まさに無知ゆえの判断です。

むしろ逆にどんなところだろうと興味が湧き、
ネットで調べたりする様になったのですが、
それに気づいた彼女から、
やめてほしい
と強くとがめられました。

「ネットには間違えたことが書かれている」
「だからそれを鵜呑みにしないでほしい」と。
ようするに、情報の遮断です。

誤解のないように先に言いますが、
彼女自身は信者ではありませんでしたし、
そのつもりもないと話していました。

彼女はもっと自由な生活を望んでいました。

彼女には叶えたい夢がありましたし、
何よりも私と恋愛関係でいるということ自体が
エホバの教えに反することでしたから、
信者として私をとがめたのではないのです。

「自分が入る気ないなら、かまわないでしょ」

私はそう言い返しましたが、
それでもやはり彼女は嫌がりました。

2.教育〜「育てられる」ということ

これは私に嘘をついて、実は
裏で信仰していたとかではなくて、
エホバの証人に対する世間の意見や
イメージを私が知ることによって、
大切な家族を悪く思われたくない
という健気さだったのだと思います。

後々わかったことですが、彼女自身、
そのエホバ内のいくつかの決まりごとを

大事な両親の教え

として守ろうとしていました。

何度も言いますが
彼女はエホバの証人の教えを、
大事な両親の教え
として、守ろうとしていたのです。
そのエホバのルールとしてではなく。

そんな彼女の優しさは
私には痛いほど伝わってきていました。

ですが私にしたら、
「恋人のご家族」のことですから
少しでも理解を深めたいわけです。

なのでこっそりと調べていました。

しかしやがて、理解することなど
甘い浅はかな考えだったと
思い知ることになります。

結果的に、学び、知れば知るほど、
融通が効かないということが、
よりはっきりとわかるようになった
だけでした。

3.常識〜環境で変わる正義と悪

私が生まれ育った家庭は、
いわゆるよくある日本の家庭でした。

家には神棚があり、
檀家であり、
仏壇があり、
誰かが死んだら葬式には
お坊さんがやってきてお経を読みます。
キリスト教でもないのに
クリスマスにはケーキを買って食べ、
正月になれば、日本の文化にならい、
初詣に行き、家では餅を食べる、

そんな、どこにでもある家庭です。

そんなどこにでもある家庭だからこそ、
そこで生まれ育った私は、
恥ずかしいことに、それが、
「日本人の常識」
だと強く信じていました。

そしてそれを否定する場所が
実際にこの日本にあると知り、
本当に驚いたのです。

私は、その自らの常識から判断し、
その宗教は間違っている
その教えは間違っている
そこから彼女を救い出したい

そう強く思うようになりました。

当時の私の固定観念では、
そう決断することしか
できなかったからです。

しかし、相手の家族からしたら
私が間違っていて、
相手の家族が正義で、
私が「悪」だったのです。

4.常識〜見えない壁を作るそれぞれの価値観

「愛があれば何ものにも負けることはない。
「いつまでも離れずにいられる。」

私は愚かものの仮面を身につけて、
勇者にでもなったかのようでした。
今思えば、ただ強引に
自分の意見を通そうとしていただけ
です。
それが結果的に、
愛する家族を思う彼女の気持ちを
ひどく傷つけていることなど
気付きもせずに。

よく、普通普通と言いますが、
普通ってなんだろうかと、
ようやく今では
そう思えるようになりました。
いろんな価値観があり、
いろんな生き方がある。
それが幸せかどうかは
その人が決めるのです。

だからこそ、そこには
見えない壁ができあがり、
人を隔ててしまう。

これは、この世界には
当たり前のようにあることであり、
恐らくは永久になくならないでしょう。

だがその壁は、
愛し合うことで壊していける。
愛は最強であると。
決して屈しないのだと。
屈しずに貫き通せば、
きっとご両親も
いつかわかってくれる。と。
このままいつまでも一緒に
いれるはずだと。

私はあてもなく保証もなく、
夢を見続けていたのです。

そしてほどなく、私達は、
新しいマンションを借りて、
ふたりで暮らすようになりました。

5.決断〜家族を捨てるという選択肢

一緒に暮らすことは、当然、
彼女の両親の反対を
押し切ってのことでした。
これに関しては初めから
正しいやり方ではありませんでした

ただ、その時すでに彼女は両親から、
私との付き合いを続けて
そのエホバの規則に反し続けるならば、
もう家族としては受け入れないと
通告されている
状態でした。

家族の縁を切るということです。

彼女は帰る故郷を失って、
ひどく動揺していました。

なので私は、彼女の一切を
受け入れるつもりで
彼女の手を強引に引き、
新しい部屋を借り、
共に暮らすことを決断したのです。

まあ、「親子の縁を切る」
とはおだやかではありませんが、
もちろん、彼女の両親にしても、
いつか娘が改心して帰ってくる、
それを期待しながらの厳しい通告
だったのではと思っています。

彼女自身も、
自分の父も母も本当は優しく
理解のある人だからと、
いつかわかってくれる日が
来るはずだからと、
かたくなに私のそばに
居続けてくれました。

しかし、

エホバの証人を信仰し、
救いを得ること


彼女の両親はそれ一択が娘の幸せだと、
そう強く信じているのです。

私といるということだけで、
それを信仰しないということだけで、
自分たちの娘は不幸になる、と。

そんなことはないと
私側の常識をいくら語っても
当然、通用しませんでした。

どれだけ時間を費やしても
折り合いをつけることはできず、
ただただすれ違い、
ただただ互いの悲しみが
深くなっていっただけでした。

私にはもうそれ以上、
「大丈夫」だと、
「不幸にはなりませんから!」と、
強引に押し切ることはできませんでした。
そこには私の入る余地のない、
男女の愛とは別の
家族の愛があることに
ようやく気がついた
のでした。

それは屈したとか、
そういう勝ち負けの問題ではなく。

6.現実〜常識は人の数だけある

彼女さえ許されるなら、
私はずっと嫌われ者で構いませんでした。
元々、器用には生きてこれなかった男ですし、
悪く言われるのも仕方ない立場なのは
重々わかっていましたから。

けれどそれも今となっては
傲慢な考えだったのだと思います。

初めのほうで言ったように、
常識はひとつではないのです。

「夢」もひとつではないのです。

間にあるのは壁ではなく、
間にあるのは、
船を渡せば必ず船が壊れてしまうような
荒れ狂う海でした。
もし彼女が「本当に」こちらの島に来たら、
もう故郷に帰る船はないのです。

新興宗教の持つ、
人の人生を左右してしまう
その抗えない強大な力

私は思い知ったのでした。

7.破局〜そしてすべてが終わった

いつかふっといなくなりそうな気がする

まだ何一つ諦めてはいなかった頃に
ふとそう口に出してしまったことが
ありました。

彼女は笑いながら
何言ってるの、と答えました。

たった数年間の同棲生活でしたが、
東京の片隅の小さなマンションで、
互いの誕生日を祝い、
明かりを消した部屋で夢を語り、
夏には祭りに出かけ、
浴衣を着て花火を見に行き、
ベランダでは花が咲き乱れ、
穏やかな風に風鈴が鳴り、
窓は夕暮れで染まり、
テレビを見て笑い、
一つの布団で眠る。

秋も冬も春も夏も、街を歩けば
彼女に花の名前を教えてもらい、

そして、ケンカもたくさんしました。
こんな事情から、お互い辛く
寂しい日々でもありましたから。

それも含め、
私がそれまで知らなかった、
もしくはわかっていなかった、
たくさんの愛情を彼女からもらいました。
返したりないほどの深い愛情を。

そしてそれ以上に、私たちは、
認められない付き合いとその暮らしに
疲れ果てていました。

結局、彼女はギリギリまで
私の元で耐えていましたが、

「すぐ戻るね」と
置き手紙をして、
故郷の家族に再会するために
私の元を去りました。
精神的に限界だったのでしょうし、
その頃にはもう私にも
強く引き留める気力は
残っていませんでした。

私は数日、そして数カ月、
彼女の帰りを待ちました。
しかし、彼女は
戻ってはきませんでした。

その夏の花火は、
マンションのベランダから
一人で眺めました。

彼女が出て行った時点で
きっともう戻ってはこないと、
心のどこかで
わかっていたような気がします。

そして私は、彼女が置いていった
ぬいぐるみをぼんやりと見ながら、

戻らなくていいよ
と伝えました。

私達が共に歩む道は
そこで終わったのです。
彼女が出て行った時点でもうすでに
終わっていたのでしょう。

8.喪失〜残された荷物と家族愛

出て行った彼女の荷物を整理していたら
彼女の祖父から送られてきていたらしい、
エホバ関連の冊子が出てきました。
私が嫌がるのを予測して
黙ってクローゼットの奥に
しまっていたのです。

けれどそれは、
大好きなおじいちゃんからの贈り物
であり、
中身がどうだこうだでは
ないわけですから、
隠していたことに怒りも
裏切りも感じませんでした。

家族に縁切りを宣告されながら
遠く離れた街で、
ひとり苦しみながらそれでも
私の元にいようとしてくれていた、
そのことを思うと
自分の力のなさ、
理解のなさ、
自分勝手さに、
思いにふける私の胸は、
ただただ痛くなるばかりでした。

広くなってしまった
二人暮らしのマンションには
喪失感とやり切れなさだけが残りました。
私ももうそこで暮らしていくことはできず、
ほどなくして部屋を
引き払うことに決めたのです。

9.学び〜愛は宗教を超えるのか

もう彼女に会うことはありません。

今、故郷でどうしているのか。
誰かと幸せにしているのか。
もしかしたら入信したのか。

何一つ、私が知る必要のないことです。

私達はお互いに相手の幸せを考えて、
「離れる」という選択をしました。

この恋愛で私が学んだことは、
愛にはいろんな形があり、
離れるという決断も
愛と呼べるものだということです。
そしてその愛を裏切らないために、
それを引きずるのではなく、
相手の新しい幸せを願い
祝福するべきなのだと。

そして自分自身も新しい場所で
幸せにならなければならないのだと。

それが冒頭で言った、

「愛は宗教を超えるのか」

の答えです。

この恋愛で私はそう学んだのです。

あとがき〜この種類の悲しみのために

今回話したのは「私が学んだ」
愛は宗教を超えるか
についての答え
です。

今まさにあなたも似たような恋愛を
しているかもしれませんし、
別れなどあり得ないと
私の話を否定するかもしれません。

あり得なくて当然です。

この世の愛し合う恋人達が見る夢は

最後まで決して離れなかった

そんなエンディングです。

私も同じ気持ちでした。

宗教絡みの愛をつらぬくためには、
必ず別れなければならない
と言うつもりはありませんし、
そんな愛の規則はどこにもありません。

何が起きても何を失っても、
誰を傷つけても、
最後まで離れない人達もいるでしょう。

そもそも今回はエホバの証人相手でしたが、
すべての新興宗教団体が同じとは
限らないでしょうし。
(もちろん知らないので断言はできません)

正直なところ、私はもう二度と
こんな恋愛はしたくありません
し、
この記事も自分では
読み返したくありません。


ただ、今は、
こんな結果を迎えた恋愛が
あったということだけでも、
胸の奥にしまっておいてもらえたら
充分です。

けれど、いつかもしあなたが
その恋に追い詰められて
どうしようもなくなる・・・

そんなことがあったなら
私のこの話を思い出してみてください。

少しくらいは、あなたの悲しみの
役に立てるかもしれませんから。