【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第19話〜聖者を気取って

同じ歌を書ける作曲家はいるか

この歌は、それまで書いてきたものをまとめたもの
そういえばわかりやすいかもしれません。

しかし、実際は、それを超えてしまっていました。

本当に暗く狭い心で書きあげた歌なのですが、
私自身が手に負えないほど、深く重い歌に
成長してしまいました。

この歌を書いた時、確か21か22歳くらいの頃、
私は何をしていたか。

川崎や大井の倉庫で稼いだ8000円で、
毎晩飲み歩いたり、
パチンコに飲まれていた頃か、
煤けた幽霊のような背中で、
無人くんの申し込みをしていた頃か。

私は、自分の夢や目標にしていた生き方から
全力で逆走していました。
そしてそんな自分を許していました。

人としてこうあるべき、あああるべき。
それは優しさ、立派さ、「まとも」な人間。
あの人と比べてどうだ、
友達の何々くんは立派なもんだと言われる鬱陶しさ。
愛があるだの愛がないだの。
強いだの弱いだの。

全てに対して苛立ちを抱えながら、
「世間様」が強要してくるものに苛立っていました。
そして、何よりも、負けている自分自身に。

はたから見ればすっかり負け犬でした。

私が嫌っていた学生時代の同級生たちは、
それを聞いたら大笑いしたことでしょう。
それ見たことか。あんな奴が東京に行ったから
なんだっていうんだ。
だせえ。だせえ。だせえ。だせえと。

そんな暮らしがあったからこそ、
生まれた歌には間違いありません。

しかしこの歌は、それを見事に越えてきました。

この歌の主人公達は、打ちひしがれて仮面を外そうしています。
3番では、すでに仮面など外して世の中を悟った「てい」でいます。

ですが、私が思うに、人は誰といても誰に対しても、
その仮面を外すことはできないのではないでしょうか。
何枚も何枚も外して外しても、
最後の1枚は誰にも外せないものだと思っています。

そしてその最後の仮面の奥にあるのが「孤独」なのです。

自他共に認めるだらしなくダサい男ですが、
これと同じ歌を書ける作曲家はこの世にはほとんどいないでしょうね。

たいていの作家はそれでも
「聖者を気取ろう」としてしまうから。

聖者を気取って

時間に急かされ 追い立てられて
裏切り者にならないように頑張った
それでも時には落ち込むのに
全てをさらけ出す場所が見つからない


夕刻の台所で母親に
助かる道は必ずあると教わった
時が全て解決してくれるとか
いつしか必ず報われる日がくるとか


何も言うことなんかない
近寄ってこないでほしい
聖者を気取った男が
寂れた通りで仮面を外そうとしていた


我慢することがあまりにも多く
いつのまにか神経が麻痺してしまった
信じられることは少ないが
それすら間違った選択に思える


いつも求めては放り出された
欲しいものはほんの少ししかないのに
あの日惜しみなく与えたものは
しばらくしてから無傷で戻ってきた


何も言うことなんかない
近寄ってこないでほしい
聖者を気取った女が
寂れた通りで仮面を外そうとしていた


使い古された言葉を持って
誰だって自分を良く見せようと必死だ
それは俺だっておんなじことで
ただ心を器用に閉ざしているだけ


俺の優しさなんか偽りで
お前にはそれを見抜く確かな目がない
考え過ぎたりしないように
ただ周りと呼吸を合わせているだけ


何も言うことなんかない
近寄ってこないでほしい
聖者を気取った誰かがまた
寂れた通りで仮面を外そうとしている