【孤独の歌】自作の歌詞とその背景を綴る第12話〜12月の疾風

都会の乾いた風が吹き抜ける3つの物語

それは出だしの歌詞の通りで、
暮れも押し迫った12月の夜のこと。

地下鉄の冷たい風に押し出されるように階段を登り、
出口を抜けたところで目に入った、
クリスマスケーキを持って環状7号線沿いに一人
立っていた女性の後ろ姿。

それが強く私の目に焼き付いて、
そこから生まれたのがこの歌でした。

ひとりぼっちで寂しそうに見えたのは
私というフィルターを通して見たからで、
もしかしたらウキウキしながら恋人の車が来るのを
待っていただけかもしれません。

ただ、私が書くと、前者の方になるのです。

まあ、一応説明しておくと、
ホールケーキのような大きい箱ではなかったです。

とにかくそれを一人暮らしの部屋に持ち帰り、
一人で寂しく食べる。
友達に電話をかけたりしながら。

一人で食べたっていいじゃん。
クリスマスなんだしさ。

そんなことを言いながら。

そんな「一人」の人生模様が瞬時に頭に浮かぶのです。
そして架空の物語が脳内を広がりだします。
問題はそのことで他のことがおろそかになるという結果を招くことです。
これはずっと変わりません。
というか治りません。 
この習性こそ私が職場で優秀には決してなれない
一番大きな原因なのですが、
それはまた別の機会にお話しします。 

12月という時期が、さらに私を
感傷的にさせていたのは事実です。
年の瀬が迫ると、毎年毎年
都会の冷たい風にさらされながら、
なんとも表現しがたい痛みが胸をしめつけてきます。
あの、胸の中をもぎ取られるような苦しみはなんでしょうかね。

また間に合わなかった。
また届かなかった。
また守れなかった。
また終わってしまう。

悔いだけを残して、
また新年を迎えてしまう。

それをごまかすために一人の部屋でまた、
誰にも打ち明けられずに酒を浴びる。
付けっ放しのテレビは
今年の反省、来年の豊富。
年がら年中浮き足立っているテレビの向こう側は、
さらに輪をかけて浮かれている。

私は酔いどれながら、冷え込む部屋でギターを抱えて、
短い詩で、3つの人生をこの歌にしたためました。

2番と3番の歌詞が年を追うごとに変更されています。  

2番の青年は初めは愛車を手に入れた
若いサラリーマンでしたが、結婚して子供が生まれ、
その子供もすっかり成長しました。
しかし、自分の仕事が忙しいせいか
あまり娘とは接点がなくなってしまいました。

3番に出てくるこの歌の歌い手の「母」は、
まだ50歳前の若い母親でしたが、とうに還暦を過ぎました。
息子が庭で飼っていた犬は亡くなってしまい、
12月になるとその庭は雪ですっかり埋もれてしまいます。

一つだけ変わらないのは、その息子が
夢老い人のまま、帰ってこないことです。

その息子もいまや、
最初に送り出した時の母親の年齢を
越えてしまいました。

12月の疾風
地下鉄の前の歩道橋の下で
女はクリスマスケーキを持って立っていた
環七を走り去る車をただ
漠然と目で追いかけているだけだった

昨夜は昨夜で久しぶりに会った旧友の結婚話
たった一人の部屋が冷たいのは知っていたから
夢なんてものは時には敵になるわ、と

会社が終わると急ぎ足で街へ出て
男は忘年会の会場へと車を回す
しばらく口も聞いていない娘の
寂しそうな横顔だけが胸をつつく

なんでもかんでも他人事は とてもいいことのように見えて午後になると眠さと誘惑が 激しく襲ってくるから
夢なんてものは時に敵になるんだ、と

還暦を過ぎた母親は雪の積もる田舎町で
幸せについてもう安易には答えない
庭では重くしなだれた枯れ木が
やがてくる春の訪れを待ち続けている

静かな午後に炬燵に入り 編み物を続けながら
夢を追って街を出た息子のために祈る
夢は決してお前の敵にはならない、と